締め切りといふもの

 友人も日記に書いていたが、我々には締め切りというものがある。

 普通のサラリーマソがどういう仕事をしているのかは、知らぬ。しかし、「締め切りに追われる」ということはないんじゃないかと思う。
 俺も工場をやってる親父の子、「納期」という単語ぐらいは聞いたことがある。そういう期限があるばあいはあるでしょうね。もしくは「今月の目標は〜件の契約を取ってくることだ」といった締め切り(数値目標?)とかか。
 それらの仕事と、我々の仕事とは根本的に違うもの。それは我々が「頭の中からなんかひねり出す」という、よく言えばクリエイティブな作業をしている部分があるのだ。

 クリエイティブという単語は非常によい。良い感じがする。いい仕事のように思える。でも、実質はそんなもんじゃないとも思う。
 この日記をお読みの方は、普段の私が夏休みだから、家で昼寝し、ゲームをし、家事をし、漫画を読み、ちょっと用事ができたら平日いつでも役所に出かけて手続きができる(したくねぇ)という自由気ままな生き方をしていると思うでしょう。その通りです。そういう実態を敢えて否定しないので、そして我々自身もそれが「人として駄目だなぁ」と思っている部分があるので、クリエイティブだなんて耳障りがよい表現をするのは良くない、と自重する気持ちが生じるのである。

 ともかく。そんな我々も、締め切りというのはある。学会誌や学会発表に研究成果を論文として投稿する(これが主たる仕事。講義は研究者の「主」ではない。あくまでも「従」)のだが、これに締め切りがある。
 締め切られるまで、我々には何の縛りもない。自分の好きなことをしていればよい。しかし、締め切りには間に合わせねばならぬ。この「空いてる時間を自由に使える」気楽さが、逆にプレッシャーになるのだ。確かに毎日、ゴロゴロダラダラ、自堕落な生活をしていても良いのですよ。それで食っていけるのなら、です。でも、この業界で生きて行くには、論文を書いて世に認められねばならぬ。
 書かねばならぬ。でも、締め切りまでまだ少し日があるから、ちょっと息抜きしようかな。もう少し遊べるかな。遊べるよね。
 という感じで、小学生自分の夏休みの宿題みたいなものです。こういう危険な自分との駆け引きを、常にしているわけです。甘い誘惑との駆け引きの日々です。
 遊ぶのも、真面目に生きるのも、自分任せ。将来大学者になるのも、非常勤講師のように不安定な身分のままで生きていくのも、自分次第。
 これは、かなり精神的にキツい作業です。

 しれっとできる人はいいのかもしれないけどね。でも、この業界、基本的に締め切りを嫌々受け入れてる人がほとんどです。

 ミュージシャンとかだったら、心の底から「このメッセージを伝えたい!」という強いドライブがあるだろうし、最悪「ドレミドレミドレミ」とか、適当に弾いてCD出してもいいかもしれないが、我々の場合は査読者といって、学者先生が数人論文を審査する。学会誌に載せるレベルかどうか、チェックするのだ。だから、例えば白紙で出すようなことはできないわけです(笑)

 以上、前フリ。
 何がいいたいかというと、今日研究会で発表資料を準備できなかった友人に「しっかり生きていこうぜ。後早く書け」というメッセージを送ると共に、締め切りがあるので明日の研究会は参加できそうにない、という言い訳がしたいんです。

 終わり。 

 追伸 ホンダから電話があった。もう当分、車の案内は結構ですというメッセージが、担当者に伝わっていなかったようだ。しっかりホウレンソウしろよ。