もう少しリアルな今週の状況の記録

最終講義参加者170名,祝賀謝恩会参加者150名。これを取り仕切るのは,地方学会をやることと同じようなもんである。学生スタッフ6名,実行委員10数名と,学内教員で作り上げる。
今週一週間はもうこの仕事のことだけ考えよう,研究のことはやめよう,と割り切って月曜日を迎えた。

しかしまぁ,今週は大変だったのである。なにがといって,ワーク・ライフ・バランスが。
長女が学校から持ち帰ったであろうインフルエンザが,家族内で蔓延した。月曜日,末娘が39度の熱を出してインフルエンザ判定。38度の長男もおそらくそうだろう,と二人はタミフルを処方される。
妻は陰性反応だったが,火曜日,水曜日あたりに38度級の熱が出てうなされながら臥せり続ける。
長女は熱が下がっていたので,ただの咳止めだけもらっていたのに,水曜日になってまた熱がぶり返す。
長男,末娘はその頃は熱が下がっていたので,薬は飲んでいるけど家の中で元気に暴れている。

もちろん,私は週末に向けて罹患するわけにいかないので,夜早く寝る,うがいを繰り返すということをしていたが,どうにも喉が痛くなって雰囲気が怪しくなってきたので,耳鼻科へ。のどの炎症と判定されて,炎症を抑える薬を出される。悪寒や体の節々の痛みに「気付かないフリ」をして,空いてる時間を使ってとにかく休むことを心がけたのである。
学生スタッフが準備で毎日深夜まで大学に残っている間に,だw

私は昼ぐらいに大学に行き,学生に指示を出すだけ出して,お買い物とかして帰って家事をしたりゴロゴロしたり。
院生スタッフIが事務能力に長けており,彼がDropboxでファイルの共有をしてくれたので,各自の進捗状況(席次表,名簿,式次第などのファイル)を確認しながら,指示出しながら,家で仕事もしたりして。

まぁでも作業現場にいなかった&家で寝てたということもあって,ほんとに学生スタッフには申し訳ない感じである。

会場であるホテルニュータナカの営業は仕事のできない人で,その人からの連絡にも困らされることが多かった。
そもそも,借り押さえしておいてほしかった部屋が押さえられてなかったあたりから,不穏な空気はあったのだが,当日が近づいてくると問題が厳しいものになってくる。
人数確認などはオンライン&クラウドで行っているのに,営業さんに送ったメールはみられていないようで,「見たら確認の電話をくれ」とフロントに言わなければならない始末。16日の午前中に連絡する,といっているのに,見たという返事が来たのがこちらが督促の電話を出した翌日の夕方。営業マンなら少なくとも12時間に一回ぐらいメールはチェックして,ちゃんと返事しろよな。
しかも,メールの文面も読んでないようで,「なんかケーキが届いて大変でした」とかいってる。届くと書いてあっただろうが。「書いてありましたよね,読みませんでしたか?」と聞いたら「ええ,読みましたよ,もちろん」という返事。絶対嘘やん。
他にも,一ヶ月前に伝えてある演題の確認を,前日の夜8時に電話で「これでよろしかったでしょうか」と聞いてくる,当日の午前中に「すみません,駐車場が確保できませんでした」と言われるなど,考えられへん!事例頻発。
こういうレベルの低い対応でも,山口市内にある一番大きなハコなので,殿様商売をしつづけられるんだよな。これが田舎の辛いところです。

当日。美容院というところに初めていって,初めて毛染めをしました。理想は金髪だったんだけど,一回でなかなかキンキラキンにはならないそうで,かるーい色目になりました。
会場について,いろんな人に外見でいじられる。ま,出落ちですけど。個人的には色よりも,短くなってすっきりしたのが嬉しい。鏡を見るわけではないので,自分の視界はいつも通りなんだけど,みんなの見る目が違うというのはこういうことか,と勉強しているところ。会に参加した学生が同じような髪型で,黒鉛筆・色鉛筆というコンビ名を頂いてしまう。

最終講義が始まり,私は受付で一人待機。あとでDVDで見せてもらうもん。さみしくなんかないもん。でも,時折中から爆笑が聞こえるのが辛かったなw
謝恩会に参加,という予定の人が,時間の都合が付いたのか最終講義にも参加されて,名札がすぐに用意できない等の些細なトラブルも発生しつつ,なんとか問題なく終わらせることが出来た。

謝恩会はプロの司会者(ラジオのパーソナリティーが先生の卒業生!)や宴会好きの人たち(これもゼミの雰囲気かなぁ)が盛り上げ,私もちょっとした余興として壇上に立たせていただきました。
最後の撤収までほぼ予定通り進めてよかった。

最後の最後,撤収の最中に,営業さんが来て「ほんとによい会でした・・・」とうんうん頷きながらやってくる。もちろんお礼をいうし,駐車場の件などもどうやら結果オーライだったみたいだけど,二度とこの会場は使ってやらないぞと固く決意した。

学生スタッフはここで仕事終了。以降は一ゼミ生として参加しようということで,湯田の町に。
二次会会場を一応予約してあったのだけど,60名の予約のところに75名きて,さらにそれ以上に来たい人がいたので急遽別会場をあちこちで手配。トントン,磯くら,ズカズカの三カ所に分かれて,十数名ずつ分かれる。ほんとは5カ所ぐらいに散らばったのだけど,適当にまとめていって,磯くらとズカズカに収斂させていく。この辺の連携の仕方は,卒業生のFちゃんとO君の配慮する能力の賜物だよなぁ。ほんとに周りに才能がある人がいて助かったなぁ,俺じゃあ何にも出来ないもんね。

さて。いくつかの飲屋に人を配置して回って,ふと気付いた。誕生日プレゼントでもらったタイピンがない!どこかで落としたようだ!ぎゃー,と思っていたら,先に帰った卒業生(俺のゼミっ子!)が落ちてましたよ,と持ってきてくれた。感謝感激雨霰。Kさんにはいままでもこれからも頭が上がりません。残念ながら壊れてしまっていたが,これは瞬間接着剤でなおるはず。娘が選んで妻に贈ってもらった思い出の品ですから,なんとしても直すぞ。

とか思いながらメインの二次会会場に戻る。主賓を第二,第三会場に案内。湯田の町を先生と二人で歩く。これもいい思い出だ。第二会場磯くらで一杯飲んで,第三会場ZUKAZUKAへ。ここでテッペンのラストオーダー。メイン会場の人も少し合流したりしたけど,三次会のカラオケに行く等。

もう眠気MAXだったけど,カラオケで三時ぐらいまでは遊んでました。ここで代行を呼んで帰宅。

そんな感じの一週間&当日。
ひとつよくわかったこと。タフマンリポビタンDウコンの力はよく効くな!ドリンク剤のおかげでインフルエンザウイルスにも勝ったし,ウコンのおかげで二日酔いもない。

よく考えたら,昨日はほとんど何も食べてないのです。謝恩会の時は食べるより先にあちこちにお酒をついで回って飲まされ回って,10杯ぐらい一気して(うち一杯はT様に日本酒一気させられたことを覚えている)。サラダを少し食べたかなぁ。二次会は湯田の町をウロウロ巡回していたから,途中でマカロニサラダだけ食べたけど,そのメンバーを第三会場に連れ出すためにすぐに出たし。後は飲んでるばっかりで・・・。75キロ弱でスタートして,今朝は72キロ台でした。わはは。

今日はずっと眠っていたかったけど,一週間あんまりかまってやれなかった子どもたちが寝かしていてくれるはずもなく。ウコン飲んでおいてほんとによかった。

ちなみに,「よし,今から倒れてもいいぞ」と体温計で熱を測ってみたら,35度ぐらい。
・・・体調管理を気にしすぎて,ただぐうたらだっただけか?俺。