思想の中の数学的構造

思想の中の数学的構造 (ちくま学芸文庫)

「思想の中の数学的構造」を読んだ。数学が大好き、な哲学者のエッセイ集かな。先日のGD学会で知り合いの先生に教えてもらったのですが。
ベースは哲学なのだけど、話のネタは数学。つまり数学的なコトバと一般的コトバの類推でお話をするわけです。もちろん、ただ似てるよねー、ってだけではないものを感じるのだけど(感じられるかどうかは人による?)

冒頭の「レヴィ・ストロースは構造なんかわかってないよ、ばーか」というところは非常に面白かったが、読み進めるにつれてなんだか盛り上がりに欠けるなぁ、と思ったり。その辺は思想家の限界でしょうか(失礼)。

でも、なかなか頭を離れない一説があるんです。

ブルバキは数学的構造を、代数構造、順序構造、位相構造の三つに分けた。それらのうちで位相構造はさておくとして、代数構造は群論で代表され、順序構造は束論で代表されるということができよう。ところで束の方は、いわゆる論理学として、古くから哲学をはじめとする人文科学に盛んに使用されてきた。ところが群の方は、自然科学ではしばしば使われてきたが、人文科学にはほとんど適用されていないと思われていた。

位相を「さてお」かれたのは残念だが、群論はサイコロジック、論理学はソシオロジックなのだろうか。であれば、位相構造は空間を扱うので、いよいよPモードとCモードがぶつかる瞬間(社会学者なら「接続」というのかね)についての学になるのかもしれない。

群はgroupすなわち集団、集合はsetすなわち構えである。この辺は、数学者が人文社会の用語から援用したところがあるようなんだけど、環circleや体fieldや束lattice、というのも何かとつながっているのかもしれない。環はcircle、サークル?ボランティアとかかな?体はfield、これは場、であればレヴィンかな。束はlattice、格子という意味でもあるのでセル・オートマトン?ううーん。

とまれ、レヴィンが位相空間topological spaceに思いをはせていたことを考えると、いよいよ次元、時空について勉強していかねばならないなぁ、と思うわけです。