空気と戦争

空気と戦争 (文春新書)

空気と戦争 (文春新書)」を読んだ。猪瀬直樹の名前に惹かれて手にした本。
内容は歴史的(政治的)にも、専門(社会心理学)的にも面白いものでした。構成がヘタだったのは残念だったけどなぁ。

歴史的・政治的な側面でいうと、俗に言う左派と、昨今元気なネトウヨ、あるいは小林よしのりのような右派(反米保守)のどちらにもNo!というスタイルが好ましい。特に後者二つを筆者は「左の右派」と呼んでいるんだけど、それはそれで違うだろう、というのだ。

左派は「太平洋戦争は日本が悪い、全ての責任は日本にあって、日本は世界に対して罪を負う」、という主張。
左の右派は「大東亜戦争はアメリカが悪い、日本に責任は全くなく、亜米利加も中国も韓国もオカシイ」、という主張。

筆者は、大日本帝国のシステムとしての不自由さ、その中での軍人、研究者、民間人の真面目さについて述べ、戦争に突入せざるを得なかった状況、しかしそれでも戦争という手段を選んだ陸海軍の過ちをきちんと指摘しておられる。過度の罪も、過度の正義もよろしくない、という立場だ。当時の世界が実感できるようで、とても共感できるのである。

ちなみに、左派が嫌われるのは、この「市井の人間としての実感」がまったくもてないからである。左の右派が嫌われるのも同様で、多少実感はある(戦争は全て悪じゃない)ものの、その排他性が極端すぎるのである。もう一言付け加えておくと、小林よしのりはワザとやっているのであって、彼の主張に100%共感する!というのは、それはそれで感覚がずれている。

話を元に戻す。
この本では、石油資源の計算について長く論じられている。戦争は、その目的にも手段にも、資源がなくては成り立たないからである。そのとき、時代の雰囲気、各派閥の思惑がどのようなもので、どこで計算を間違えたのか、ということが丁寧に語られる。計算を誤ったのは「空気」だ、という話で、最後にアッシュの同調実験などが引用されているのには少し笑えた。が、社会心理学が本来扱うべき問題であることは間違いないし、もっと徹底的に、システマチックに、モデル論的に議論する必要があるのでは、と感じ入った。

本当に、研究テーマとして、しっかりやってみたい気もするのである。きっと、どんなレベルででも可能な話だと思うから。

というわけで、なかなかにおすすめの一冊でした。