Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2010 / 6月

手足口病

娘の体調が悪いと言うことで、幼稚園に呼び出された。お昼休みに迎えに行く。
手足口病ではないかという。なんだそれ。
調べてみたら、幼稚園児などがかかるウイルス性の病気らしく、夏前に流行するらしい。幼稚園では既に何名か発病者が出ている。
治療法はなく、湿疹などがでたら対処療法てきに治療する。時間がたてば治るという代物らしい。
口蹄疫の人間版みたいなものか、と思ったらWikiにはちゃんと「そういう誤解があるけど、そうではない」と書いてあった。なるほど?

それにしても、アホみたいな病名やなぁ。少しひねれよ。



個人情報

ところで、個人情報ってなんだろう。
このノートPCに残っている情報は、個人を特定できるものは少ない。
全くないとは言わない。学籍番号ぐらいは入っているから。それと出席の対応を記したエクセルのシートがあるはずだ。

・・・で、これが遺漏したら、やはり処分されるのだろうか。偉い人は謝罪するのだろうか。

大学が扱っているデータで、名前と住所・連絡先などの情報は悪用される可能性があるからまずいと思うが、学籍番号と成績、といった教員が保管するデータって、大事なものなのかな。
よくわからん。



ノートパソコンを水洗い

ノートが充電できなくなって、中をのぞいてやろうと思ったがうまく分解できず、このまま放棄することにした件。
メーカーのPCリサイクルサービスをつかって、送り返せば処分してくれるというので手続きをしたところ、郵送用のラベルが送られてきた。
早速やり方を読む。

中に、「個人情報を破棄します」とあれば安心できたのだが、逆に「個人情報がここから漏れても知らないよ」と書いてあった。そりゃそうか。
で、HDDのクリーンアップのやり方はこちら、という案内はあるのだが、既に分解の失敗で電源スイッチすら入らぬ状態である。HDDだけ取り出そうにも、改修作業に伴う引っ越しでドライバーセットは直しこんでしまった。

さて、どうするか。

正しい解決策かどうかはわからないが、水に浸すことにした。こうすれば、先方で分解の際にHDDだけぽろっと落ちて、悪意をもって情報を取り出そう、としても物理的につぶれているだろう。
ノートパソコンの水洗いという珍しいシーンが写真に撮れたので記録しておく。

長い間ありがとうトラジ。最後に、なんかごめんね。



健康のためなら死ねる

今朝のテレビで知ったのだが、WHOがアルコールの害を防ぐための指針を定めたという。
元記事を調べたら、今年の一月ぐらいのニュースなんだな。
例えば↓
朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか?

タバコに続いてアルコールも、という話で、いよいよ健康でなければ社会的に殺されるようになってきている。

その前のニュースもそうだ。朝、ラーメンを食べてから出社する人が増えてきたという話。
元記事はこちら。>朝からラーメンを食べる“朝ラー”ブームが都内に上陸! – ニュースウォーカー
最初は不況のせいで、朝たっぷり食べてお昼は食べない、一日二食にするという話なのかと思ったがそうでもないらしい。

それにしても、最近は早起きして出社しようとか、朝ごはんはちゃんと食べよういう話題が多い。

朝早起きして、朝ごはんをしっかり食べて、タバコはもちろん吸わないし、夜アルコールを飲むことなく早く寝る。
それが楽しいのか、って楽しい人もいるし、積極的に不健康になることにメリットはないから、反論できない論調。

ただ、気になるのは、どうにも論理的すぎること、一方向的過ぎること。

論理的なのはいいのだが、行き過ぎると「無矛盾である=正しい」という拘束力が異常なものになった場合、歯止めが効かなくなる。
健康帝国ナチスという本がある。今日のテレビで、この本のことを思い出した。ナチスドイツはユダヤ人大虐殺という古今例のない犯罪をしたのだが、一方でアスベストを廃したり、禁煙政策を進めたりと、より優れた人間になろうとした。ユダヤ人に対する政策もその一環なのだ。事程左様に、論理的矛盾がないことがいいことかどうかはわからない。東京のような大都会は合理的な街なので、こういうブームが出てくるのかな、とも思う。

ひとつに解を定めるのも要注意だ。昨日、フォローしている人のつぶやきで名言を知った。「測れるものはすべて管理される」。なるほど、そうかもしれない。測定を大事にしよう、ちゃんと測定してそれを検証に用いよう、という方針は大賛成だ。ただ、そのとき参照するのが、平均値のような中心化傾向の指標だけになること、は避けた方が良い。
南風原朝和先生も言っていたが、たくさん集めたデータの特徴をたった一つの数値に縮約するのは、そもそも無理がある。合理的に理解しやすくするために無理をするのだけど、それは情報の切り捨てという側面があることを忘れてはならない。切り捨てられる情報が何であるか、ということに無関心で利用するのは間違いだ。もちろん、だから統計は駄目だ、と短絡的に批判するのも間違いだが。
個人差、個体差、個性を大事にしようというのであれば、平均値よりも分散、最大値・最小値よりも歪度やジニ係数を使うべきじゃないか。散らばりに基づく指標を大事にしないと。

日本国民全員の寿命を延ばすとか、健康で長生きさせるだけを目的にするのではなく、タバコを吸ってもいい、お酒を飲んでもいいけど、国民の6割は70歳まで生きましょうよ、ぐらいのゆとりある方針を作るべきだと思うのだが。

それにしても、タバコ、お酒ときたら次はコーヒーかな。エロ漫画の規制も激しいけど、またチャタレイ夫人の恋人が発禁になるような世界が来ちゃうかもよ。楽しみを制限して、一方向に世界を導いて楽しいかねぇ。これだったら「「地球人手当」計画(元記事:痛いニュース(ノ∀`) : 世界ランキング上位6億人から税金徴収し、全世界の人々に最低限の生活を保障する「地球人手当」計画…法政大教授 – ライブドアブログ)」をWHOが提案する方が、まだまともだと思うけどねぇ。



買わないと決めた日

一ヶ月以上前になりますか、近くにいい物件ができて、買おうかどうしようか悩んでおりました。
市内の一等地におけるマンションで、地理的条件はいいし、間取りや内装も気に入った、値段は・・・周りのそれに比べれば安い方なんでしょうな。
ともかくまぁ個人的にはアリかなぁと思えたもので。

ただ、先頃第三子が生まれることが判明したし、そうすると車を大きいのにせないかん、という新たな悩みが成立。
職場のほうでも改修に伴う移転でバタバタしていると。ウィークデーも日々なんらかの決断決断で、どうも回ってないなぁ、という実感の日々。

そんな中、マンション屋は毎日電話をしてくるわけです。当然自宅の方にかかるのだけど、平日食事時とか手が離せない時にかかることが多く、留守電にたまりがち。週末になると決まって午前中に電話してくるのだが、私は週末に午前中を認めないので(前日深酒するので睡眠時間)、電話で起こされ留守電がたまる。困ったもんだと。とにかく再三、どこまで話しあってもらえているか、どこまで相談が進んでいるかということを尋ねてくる。

流石に「先延ばし」にもできなくなってきたので、夫婦で熟議し、まぁ今回は縁がなかったということで、という結論になった。

で、夜になって断りの電話を入れたのだが、まぁ営業さんの引き止めのすごいこと。
いや、これはいいことなのです。「はいそうでっか、客はどこにでもおりまっせ」でもいいんだろうけど、やはり仕事として引き止め作業をせないかんだろうよ。だから、後半なかば人格攻撃的で多少カチンとくる表現があっても、耐えたのです。こんな事で感情を顕にしてはいけないと思うし、「なんで断るのかお考えを伺いましょう」といわれても、プライベートでは非論理的でいたいこともあるのだ。
言葉につまるようじゃ交渉は決裂ね、ということで無理矢理電話を切りました。恋人をふるときの気持ちってこんなのかな。後味悪くて、でも結論を伝えないといけない感じ。

とてもいい物件で、いい営業マンだったと思う。でも、私の結論の出し方を否定されても困るのです。
「今決断できないと、いつするのですか。どうせこの先ずっと決断できないですよ」
というけれど、その批判は実はあたってない。俺は決断できないのではなくて、即決すぎるのです。見たものがイイ!と思うとすぐ買う方向で決断します。ただ、われながらその決断スピードがあまりにも早いので(不動産屋に4件見せてもらったら、1,2,3,4の順で住みたくなる)、自分の判断がまともなものだとは思えない。ということで、周囲の意見だけを頼りにする。今回も、妻が少し難色を示したのでじゃあダメだと。別に自分の決断に難の思い入れもない(むしろ常に間違っていると仮定)からね。そこを非難されてもなぁ*1

断ったことで、なにやらもったいない感もあるし、営業さんとの仲?が感じ悪くなったので気分も悪い。でもまぁこれで綺麗に忘れられるというものだ。一番のポイントは、他にも考えなければならないことが多いということ。その上、各案件がいろいろ条件づき仮説が成立するのでは、論理的な判断なんか難しく、どこかで「えいやっ」と決めなければならない。判断付かないものは、判断つけないままでいたいんだけど、時間が待ってくれない、というのがなぁ*2

こういうのも、縁がなかったというもんです。

オランダでダイヤモンドを買ったとき、学生のカード限度額だから、大したものは買えないんだけど*3、最後にお店に人が私の手をとってしっかりと商品を渡して、「これがお前にとってベストの商品だ。ベストのチョイスをしたよ」と言ってくれた。とても嬉しかったのを覚えている。

どんな決断であっても、それがベスト。それしかないのさ。

今からも大小様々な決断をすることがくるだろうけど、オランダの宝石商の言葉を忘れないで生きていこうと思います。

追伸)反動で、車はヒョイっと買ってしまいそうな自分が怖い。お金に関しては、常に手綱を握っておいてもらわないと。お金のことはよくわからないんですよ。

*1:AppleiPhoneが俺にとって理想的な商品だったのは、散々迷って購入したあと、多少の不便は覚悟していたけど、全くそれを感じさせなかったこと。

*2:田舎じゃなかったらマンションなんか次々建つんでしょうけど、こちらは数年ぶりにたったとかいうレベルだから、「今後売れるのか?」という辺りも懸念

*3:即決な私はその店でも予算を言って見せられた二つのうちの一つを買った



討論「光の道」にみるプレゼン技術

昨夜は90分ほど遅れてだが、孫氏と池田氏(×司会:夏野氏)の「光の道」討論をみていた。テレビではなく、インターネットでやるメリットとして、CMが入らない(本音が言える)、時間制限がない(分断されない)などがあって、とても楽しいコンテンツだった。

池田氏は電波の解放を、というし、孫氏は電波の解放+光回線敷設を、という論点。後半の光回線敷設について、NTTの経営をどうするのか考えないとうまくいかないよ、という池田氏の反論も、皆で「ガバナンスも一緒に議論しようよね」というところで共有できていた。あまり論旨が食い違うわけでもないのだ。いずれにせよIT技術が経済発展のカギであって、発展しないのはそれをうまく使えない企業、官公庁の体質にあること、というのが問題。

さて、内容よりも最初に思ったのは、プレゼンの技術である。
孫氏は130ページ超のスライドを用意していたが、このスライドのできが相変わらず良い。130ページも!と思うかも知れないが、基本的に字が大きくて図でイメージを描いてあるので、紙芝居のようにスラスラ読める。細かい数字が必要なのは、最後に細く資料としてまとめてある。この130ページ分のスライドの使い方も、予想される反論、話の流れをシミュレーションして作られてあって、その「流れの読み」がまぁバシバシとあたる!反論しようにも、次のスライドに答えが準備されているのだ。これは説得力がある。こういう発表の仕方をしたいし、指導していきたいな。
見え方よりも内容ですよ、という反論があるかも知れないが、今回の議論内容のように、「どちらも!」なのである。

実はこの放送をみたかった一番の理由は、動く池田氏をみたかったからである。
彼のブログは非常に論理的でわかりやすい。きっと良い思考をされる人なんだろう。しかし、実際話をしているところをみて、どう感じるかな、と。
ロジックの本質ではないのだが、正論をいう人の外見、声などが説得には大きなポイントになる。
名前を出して失礼だが、私が小林よしのりが好きになれないのは、その内容ではなくて声である(笑)

で、池田氏。思ったよりも低い声で、しかもよく聞こえる声でお話をされている。これはいい。ますます聞く耳を傾けてしまう。
孫氏もじつは、思ったより良い声だった。イメージより少し低め、平均的男性の声質からいくと少し高い方かもしれないけど、情熱の乗っかりかたを考えるととても良い。裏声を使った決めぜりふ、「たいがいにせぇよ!」はウケルと思うなぁ。

そして司会をしておられた夏野氏。まとめか違うまい、質問の仕方がうまい、声もいい、実は今回の鼎談で一番光っていたのは彼ではないか、と思うほどであった。

折しも20時から原口大臣のネット放送があり、大臣はいま体調不良でイマイチ元気のない感じだった。
今後は大臣、閣僚、官僚も議論の場を公開して、広く支持を得なければならなくなるだろう。技術的には簡単だし、その方がみる方にとっても強く支持できるからだ。国民をバカには出来なくなるのである。

で、結局議論するときは声の大きさ、声質、タイミングなどノンバーバルな情報が影響するところも少なくない。
孫氏のように、わかりやすいスライドをつくって、説得力のある声で、データに基づいた論理的な話を、情熱的に語る、そんな政治や議論のやり方が求められてくるんだろうな、と思いましたとさ。



学力低下は錯覚である

学力低下は錯覚である

仕事上の都合もあって、学力低下は錯覚であるを読んだ。
データに基づいた議論をしていて、しかもわかりやすい解説。データに基づくってつくづく大切だな、と。もちろん、ちゃんとしたデータに、ね。

本書の目玉ではないのだろうが、最期の方に、教育システムに対する提言があって、個人的にはそこが一番印象的だった。

文中で数学者の小平邦彦氏の意見を参照し、

物事には次の三種ある。

  1. 子どもの時に習得しておかなければ大人になってからではどうしても覚えられないこと。例えば読み書き。
  2. 大人になってからでも簡単に覚えられること、あるいは大人になってからの方が子どもの時よりも早く覚えられること。例えば目玉焼きの焼き方。
  3. わざわざ学校で教えなくても自然に覚えること。例えば楽しく食事をすること。

このように分類してみれば、小学校の教育においてその内容が1.に属する教科に重点を置くべきは明らかだろう。

という。著者の神永正博氏は「国語・算数・理科・社会」はこの順番で重要なんだ、とも。まさにその通りだ、と思います。

読んでいて、子どもの頃社会科の意味がよくわからなくて困ったことを思い出した。
「町には魚屋さんがあります。魚屋さんでは魚を売っています。では野菜は?八百屋さんですね。地図を書いてみましょう」
といわれても、ハァ?としか思わず、ずっと何を習っているのかわからなかった。三年生ぐらいで地理を習ったが、そのときは社会科=イミフというイメージがあったので、ただただ地域と名産品を覚えるだけで辛かった。六年生ぐらいになって歴史を学び、人間ドラマとして考えるとちょっと興味がわいたけど、という記憶がある*1

ところが結局、大人になってみると政治経済は面白いし、歴史は知っておきたいし、旅行に行くと地理のことも考えるわけです。人文地理学なんか、今になって興味がわいてきてるわけで*2

子どもに社会科は早いよなー。生活科とか総合的な学習は、もっと先でいい、という著者の主張には納得いきます。

さて、本書の内容は、大学に於ける学力低下がメインで、タイトルにもあるように日本人がバカになっているわけではない、という話。ミソはどこにあるかというと、大学の構造的問題。
翻って、いつも思うことだけど、日本の教育のあり方は変えていかないとなぁ。韓国やフィンランドとの比較が本文中にあったけど、日本でも国家がもう少し主体的に保証すべきだろう。

これは政府や文科省だけが悪いというのではなくて、日本国民全体の学問に対する意識の低さの表れでもあると思う。つまり「大学に行きさえすれば良い」という考え。なんのために大学に行くのか、大学で何が必要なのかを踏まえた上で、学士力みたいなものを保証しろというのならわかる。その代わり、その力を必要とする職場環境があり、そこで活躍できること。ホワイトカラーで、抽象的思考ができ、オープンマインドで、社会に貢献する人材って、別に労働人口の100%を占めている必要ない。取りあえず就職するために大学に来て遊ぶというのはやめてほしい。

こういう考えを改めろ、ということを教えるためにも、教育の力が必要という・・・。
無限ループだなぁ、と自覚しつつ今日も吠えてきます。

*1:高校2年の夏休みの課題が、アメリカの51州を全て記憶せよで、夏休み明けの実力テストが50州×2点のテストだったのが一番辛い地理の思い出。

*2:今の情報化社会、ネット社会では、みんな結構早熟というか、知識・知恵・戦略的思考のレベルは上がっているなと思う。逆に今の世の中ではレベルが上げられないと大変。知識の格差が広がっているという実感と共に。



地理的制限とインターネット

ネットは広大だわ

ってわけではないけど、インターネットのどこまでもつなげてしまえ、という発想とは逆の、地理的・空間的に制限する電子ファイルの可能性を考えている。

教員が講義で使う資料は、本の一部コピーなどがあるのだけど、教育的利用に関しては許されている。一部であること、学ぶ人が限られていること(その講義の受講者)がその理由みたいだ。
これからの時代、学生が皆iPadのような電子ノートをもって講義に参加する場合、その教室の中でだけなら受信できるデータ、あるいは地理的・空間的なエリアを出ると利用できなくなるデータ、という性質が必要になってくるんじゃないか。
教育的用途ならそんなにこだわることはない、といわれるかもしれないけど、教員だって年々言いたいことは変わってくるし、資料だけがどこまでも何時までもコピーされるようになると、受け手の理解のコントロールが出来なくなる。10年前に使ってた講義資料の、部分的な誤字を取り上げて、あいつは講義が下手だとか、間違えた解釈で古い解釈を「さっきネットで手に入れた資料によると、あの先生はこういってるらしいぜ」と広められたらたまったもんじゃない。

まぁ俺の講義が恥ずかしいというだけならどうでもいいんだけど、配布する例えばPDF形式のデータにいつ・どこで作られたものか、というタグが含まれていて、ある条件(例えば山大ネットに接続してあること)に沿わないと閲覧できない、ということにはできないか。あるいは、それが可能なようなフォーマットを設計しておかないかなぁ。

すでに出来ているんだったら、ダレか教えて欲しいんですけど。

これができると、もちろん情報公開のポリシーには反するし、デジタルデバイド、情報の格差社会ということが起きるかもしれないけど、電子データの図書館の可能性や、大学における教員の個性を確保できるとおもうのだが。

誰か無知で浅慮な私に、コメントを下さい。



めまいって、するのね

一昨日、酒を飲んでゴロンと寝転んだら、目がグールグールとまわった。体が半回転しかしていないのに、目が数回転している感じ。
おや、俺そんなに酔ったかな?と思いながらその日は寝てしまった。焼酎をロックでやっていたので、まわりやすかったのかもしれぬ。

昨日、起きたときに体を回転させて起き上がると、同様にフラリとした感じがする。
あれ、昨日そんなに飲んだかなぁ、と思いながら生活。全体的にバランス感覚が減っている感じ。これは三半規管がなんかなったのか、あるいは体内のどこかが不調なのか。よくわからないので妻に相談すると、ビタミン剤を飲めというので飲む。
午前中には「フワッフワした感じ」という症状はなくなった。つかれていたのかな?

今朝は「疲れていた仮説」を反証するために、朝たっぷりと睡眠をとる。週末だったので少し夜更かししてしまっていたというのもあって、八時頃に娘が起きたのだけど、父はねるよといながら寝る。最近は寝るのにも体力がいるという感じだ。34でこれは早いかなぁ。
ともあれ、やはり少しふらっとした感じはあったので、あ〜疲れてるなーと思いながら寝た。
さて、合計10時間ぐらいはたっぷり横になっていたので、さぁ起きてみようとしたら、微かにまだ回転する感じがする。

病気じゃないかと妻が言う。鉄分欠如による貧血?という案もあったが、今までそんなこと言われた経験がない。最近よっぽど鉄のない食事を指定たのなら別だが。しかし、病気として調べると、たぶん「放っておいたら大変な事になりますよ」というタイプのやつじゃないかと思うのだ。めんどくせぇ。もしそうなら、気づかぬうちになって欲しいものだ。

で、一応ネットで調べてみた。こういうのも目眩というのか?とおもいながら、目眩で検索してみたら、ありました。目眩。目が回るような感覚の総称。へぇ。色々なタイプが有る。へぇ。俺のは回転性だな。であれば、耳の問題らしい。
それならば、多少思い当たる節はある。自宅パソコンのキーボードには耳かきが常備してあって、暇なときは特に意味もなくカリカリかくのだが、中耳炎にでもなりかけてのかも。とりあえず、理由がわかったっぽいので、これでよしとする。今度耳鼻科に行く時に、症状が残っていたら聞いてみよう。

めまいひとつとっても4タイプあるんですってよ。人生は奥深い。




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