Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2011 / 2月

西里静彦著「データ解析への洞察」を読んで

データ解析への洞察―数量化の存在理由 (K.G.りぶれっと)
データ解析への洞察―数量化の存在理由 (K.G.りぶれっと)」を読みました。薄いリブレットなので大変読みやすかった。Windows7のSP1パッチを当てている小一時間の間に読了。
お話は,先生にかねてから教わっている内容を書籍にしたもので,よくわかるから読むスピードも速かったことは間違いないのだけど,先生のご著書で日本語で書かれているもの,入手可能なものが少ない昨今とあれば,是非皆さんにも一読を勧めたい良書。

内容は,簡単にいうと,Likert型の尺度をなんでそんなに乱暴に考えなしに使うんだよぅ,というものである。
取りあえず調査,取りあえずアンケート,という訳のわからないことをいう人は,絶対読んでみないと,だね。統計を避けて生きている,臨床系の学生には講義前に無理矢理読ませる課題を課そうかな。

カテゴリが等間隔で線形的である論理的根拠なんか,自明ではないのである。そこを立ち止まってちゃんと考えろよ!という本です。

非線形や非正規,順序的重み付けの方法については,昨今の統計業界でずいぶん進歩しているのだけど,そういう発展的なことにも興味がないくせに,取りあえず調査とか取りあえずアンケートとか言う訳のわからないことをいう人が大量生産される現状を考えると,大学初等教育ぐらいで徹底的にやっておくべきことかもね。

ということで,お薦めの一冊でした。



獲物は確かにいただいたぜ

学部時代の師匠が今年度で退職される。
ということで,研究室を3月には引き払うことになる。退職後は,研究業界から足を洗う?お考えなのか,研究室所蔵の書籍を「欲しかったら持っていっても良いよ」とのこと。

ありがたいことなので,スケジュールを工面して片道300kmのドライブをやってきました。
朝8時に出発。
お昼過ぎに到着して,数時間作業して,
夜21時に帰宅。

一人でやるのは辛いので,教え子二人をお供に引き連れて。もちろん彼らにも趣旨を話し,欲しい本があったら君らももらいなさい,ということで。
結果,俺が7箱分,弟子達が3+1箱分,先輩の取り置き2箱分の貴重な資料をもらってくることに成功。

一日仕事で,最後は重い本を持って階段を上り下りするなど,肉体的にも大変なことだったが,なにせもう手に入らない本とか,少ない研究費ではそろえられない本がてんこ盛り。まさにプライスレス。
何より,本棚というのはその人の思想を作ってきた道筋でもあり,それが師匠の本棚となれば欲しいものばかりではないか。タイトルだけで興奮するような本棚って,他にそうそう無いからね。

本って,良いものですね。
この良さ,この楽しさを伝えるために,精進しようと決意を新たにした一日でした。



純粋アンケート批判

アンケートって、流行ってるんですね。
社会調査士の資格を持っている、という事でアンケート調査ならあいつに、みたいな呼ばれ方をする事があるけど、勘弁して欲しいな、とおもう事が増えてきている。
なぜなら、まずアンケートしよう、という気持ちの悪い風潮があるからだ。そして、そういう流れでなされたアンケート調査は、ただのアリバイ作りにしかならないのだ。

書ける範囲で、具体例を示そう。

迷惑駐輪が目立つので、組織としてはなんとかしなければならない。そこで、まずはアンケート調査をしよう、という話があった(実際に実施されたw)

ついては、調査票をちょっとチェックして欲しい、と、調査票決済の2日前の呼ばれ、この調査について、意見が欲しいという。

みると、

  • 迷惑駐輪はいけない事だと知っていた
  • ヘッドホンをつけたまま自転車の乗った事がある

等の項目が並んでいる。五件法で学生にこたえさせるらしい。
呆れてものが言えないレベルである。
これをきいてどうするのか。これを知ってどうするのか。

知っていようがいまいが、体制側は規制するしかないのである。
ヘッドホンをつけたまま乗るようなモラルの低下があっても、体制側は規制するしかないのである。

調査後のデザインがない。これは調査初心者のよくあるパターン。ダメな事は間違いないが、学べば良くなるだろうよ。

ひどいのは、今日聞いた話。

大学で必要な教育とは何か、各学部の教員にアンケートします、という話。

吹き出しましたよ、マジで。ギャグか、と思ったもん。
しかも、回答方法が自由記述w
まさかの丸投げ。

大学の教育というものは、ポリシーにのっとって、こういう人材を作る!という方針の元、吟味して議論して作り上げて行くものでしょうがぁ!

それをアンケートて!
なんでも聞いたらええと思うなよ!

議論する暇がないからアンケートする。
アンケートの結果が直接実行に結びつくわけじゃない。
二週間後に回答が欲しい。

あーもう、あほやなー。
この事について何か意見は、とかって、真面目に会議している人達…
呆れ果てた。

アンケートは、効率的な意見収集のツールではあろうが、調査後のデザインがない調査や、やったという事実だけを使う調査は、ウンコですよ。百害あって一利なしですよ。
これで意見がなければ、承認したとみなされるし、紙いっぱいに反論を書いても、反対意見1で終わり。バカバカしい。

エビデンスベースドな議論が、末端では悪用されるわけです。効率性の名の下に、大事な筋道が隅に追いやられる。
ヤレヤレですわ。

アンケートをしたらいいってもんじゃない、という事は、伝染るんです。の山崎先生のエピソードにもある*1ので、是非それを読んで、「じゃあアンケートしてみよう!」と思いつくオメデタイ脳みそをお持ちの方は、顔を洗って出直すといいです。

*1:右足から家を出る生徒のほうが左足から出る生徒よりも多いのか…!と興奮する山崎先生のエピソード



進撃の巨人

このマンガがすごい!で紹介されていて,どの書評,誰に聞いても,「圧倒的な絶望感」「絵がもう少しうまかったら」というコメントを聞く。

思うに,絶望感が面白い,というつながりが実感できないので,ずっと気になっていた。
まだ三巻までしかいってないということで,今の内にと買い求めて読んでみた。

うむ,確かに面白い。

世界観がしっかりしているので,読みやすいのだろうな。
絵と人間関係が多少チープなことを除けば,なかなかいいんじゃないか。
先が楽しみだが,どこかで聞いたような話,に落とさないで欲しいなぁとは思う。

そして何より,圧倒的な絶望感だけではないのだ。確かに,他人に説明するときは絶望感が,と言いたくなるけれども,文脈やその背後に流れているのは希望であり,勇気であるといういみで,正統派少年漫画だ。そこは好ましい。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC) 進撃の巨人(2) (講談社コミックス) 進撃の巨人(3) (講談社コミックス)



愛機XP-80との別れ

セクシー・シンセサイザー,XP-80の音が出なくなった。液晶も出なくなっていたので,修理に出した。
が,結果は「部品がありませんので修理できません」とのこと。

確かに,購入したのが20の頃だったから・・・もう15年にもなるのか。

心残りなのは,あまり愛してやれなかったこと。

購入して,これで音楽環境が整ったと思った頃から,研究活動にのめり込み始め,徐々に趣味である音楽から離れていった。
頭の中では「いつか,もう一度この趣味をやり直そう」とずっと思っていた。老後の趣味として,楽器を弾く時間を作ろうと。それまで,漠とこの愛機が待っていてくれるような気がしていた。
まさか待ちきれなくなってしまうとは・・・。

最後の方は,娘のピアノとして使われた。もちろん扱いは丁寧ではなく,ガチャガチャ使われているのを見ながら,それでもまぁ音が自由に出せるっていいよね,と見ていた。楽器としては,こういう使われ方も幸せだよね,と。

ただ,シンセサイザーとして幸せな生涯だっただろうか。もっと使ってやれば・・・もっと俺が弾いてやれば,と思うことしきり。

今後のことも考えなければならないのだが,まだ心の整理が着いていない感じなんですよ。



卒論発表会2010

この日は朝から卒論発表会。会議等のつごうもあって,8:20スタート,14:00終わり。
4年生10名による発表で,発表15分,質疑応答10分。

短い時間の中でも,しっかりと内容がわかり,努力した跡が読み取れる良い卒論ばかりであった。
いつも卒論発表会では「玉石混合だね」とコメントするのだが,今年は玉だらけ。粒ぞろいだった。

夕方は追いコン。例年楽しみにしている,在校生からの出し物がスゴイ。
赴任したときは出し物だったが,ここ数年は映像クリップを自分たちで作る・編集する・放映する,というスタイルになっている。
3年女子がAKBを踊ったのだが,顔につけている4年男子のお面が恐ろしく,夢に見そうなぐらいであった。その映像だけでもYouTubeにうぷしてくれんかなぁ。

さて,追いコンの頭で,教師から四年生へコメントを,とマイクを渡された。私のコメントは,次のようなものです。

四年生の皆様,ご存知だと思いますが,諸君は私と共に入学してきました。早いもので私も赴任して四年目です。

今年の卒論はとてもよかった。私が来てからずっと諸君を見ているので,出来れば「俺がお前らを育てた」と言いたいところですが,振り返ってみると私がこの大学に適応できるように,諸君らが私を育ててくれた四年間でもあったように思います。

とても思い入れ深い学年なので,「君たちのことはいつまでも忘れません」と言いたいところですが,私がよく人のことを忘れるのはご承知の通りなので,逆に「俺のことをいつまでも忘れないでいてください」とお願いしておきます。

諸君とは十分な信頼関係を築けたと思っているので,最後に一言,どうしても言っておきたい言葉があります。

お前達は駄目だぁっ!

安心してこの檄を飛ばせたことが,何より幸せです。

さぁ,来年度も素敵な卒論を書かせるとするか!



文脈の切断と政治

先日メールで大失敗したのだ。
おかげで最近,メールが怖いw

メッセージは受取手がその価値,意味を決定する。そういうつもりで書いたわけではなかった,と言っても,そう読み取られてしまえばだめなわけで。そう読めないようにするために,一言一句に気をつけるべきだし,あるいはメールではなくてもう少し情報量の多い電話,あるいは直接の対話で情報を交換するようにしたほうがよい。

対話による情報交換は,逆に曖昧さを含む。顔を見てわかりあえた,ということは,客観的な解釈を定めないことでもあるので,「雰囲気でまぁ良しってことになったよね」と言っても「そのような記録は残っておりません」と言い換えされたらこれまた紛糾する。基本的に下のような対立関係にあるわけだ。

文書—————-対話
客観的————主観的
社会的————個人的
情報—————-印象
Cモード———-Pモード

「意味」や「行為」はこの間に存在する。

この両極のバランスを取りながら,つまり個人と社会のバランスを取りながら人は友人関係,社会関係を結んでいく。

しかしまれに,ごく個人的な関係やごく社会的な関係において,そのバランスを意図的に調節する人がいる。文脈をわざと遮断し,客観的な情報源に立っていると言いながら意味と行為をもてあそぶ人。キャラクターとして言えば「政治家」であろう。

普通,この政治家的人間の背後に,個性が帰属される。つまり,あの人は腹黒いから政治力でもって自分の都合の良いように物事を運ぶ,と指さされる。
半分は正解だろうが,おそらく単純に社会的パワーをもてあそぶことに目的があり,自分の都合のことを考えてない人もいるだろう(パトレイバー内海課長なんかそうではないか)。

もちろん,うまくもてあそぶことが出来れば,それは理想的なリーダーであり,あるいはプレイボーイであるだろう。

この力の良い側面,悪い側面のどちらが根底にあるか。これもまた,個人の性質によるものなのだろうか・・・。

なるべく個性,個人,人間性に原因を帰属することなく,議論を積み重ねていきたいが,結局は善か悪か,ジェダイかシスか,というところに行き着くのかも知れない。
社会システム論と共に,個人のあり方について悩む日々である。



最終講義

学部時代恩師が,本年度をもって退職される。この日は最終講義だった。

セレモニーを嫌う方なので,OB連に大々的に声をかけることはせず,先輩と二人でコッソリ向かう。

講義は,定期的な講義の最終回であって,最終講義のための講義,ではなかった。
それでも,「まだあと10年は出来るのではないか」というほど力強く,刺激に満ちた講義であった。
さんざん聞いたことのある話なのだが,ご著書を読んで理解しているつもりの話なのだが,やはりご本人の口から,ライブで伝えられるメッセージにハッとさせられることがある。

いつの日か,超えられるだろうか。
いや,超えねばならぬ。




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