Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2012 / 8月

「学校」に至る病,あるいは車屋のキクチのパラドクス

教職大学院は半数の大学で定員割れを起こしている,というニュースを聞いた翌日に,中教審の答申として「教員免許は二種類,基本的に大学院卒でないと正規教員になれない」という方向性にいくことが示されて,頭の中に疑問符が飛び交っている。普通に考えたら,そんなことにならないはずなんだけど?

 

この気持ち悪い考え方は,結構あちこち蔓延しているような気がする。得意なのはもちろん政治家,というか官僚の考え方で,例えば

+教職大学院は定員割れをしているので,大学院までを義務化すれば問題解決

+税収が少なくなってきているので,税率を上げれば問題解決

+放射線量の基準を守れば色々大変なので,基準を挙げれば問題解決

という実例が挙げられるわけです。もちろん,このAなのでB,という表記がオカシイという反論はあるかも。BのためにAをやってるんじゃないんだ,二つは独立なんだという反論ね。でもまあ,結果こういうロジックも成立しちゃうことが問題だということです。

 

なぜか。

ここでは,前提となるAが現状・実情に合ってないから問題を生じているわけです。これは生物界・自然界を例にすれば環境に適応的じゃない状態。この問題を解決するために,同じ方向性でより努力すれば,より延長すれば問題解決するというのはあまりにも不自然。例えば,生物が環境に適応的でなかったら子孫を残せない,死に絶えるわけです。で,残るのはその特徴をより強く反映したものであるはずがない。

そういうときは,能力をのばすときの「方向性を変える」(多様性を増す)というのが正しい戦略で,戦略Aがだめなら戦略B,C,D…と展開する必要があるのです。AをA+とかA’にしてももっと悪くなるだけ。

 

官僚が悪い,てなことを言いましたけど,企業だってだめなものはだめで,

+携帯電話が売れないので,もっと機能を足してみた

+テレビが売れないので,もっとすごいテレビにしてみた

+視聴率が下がってきているので,もっと豪華絢爛にしてみた

という問題も基本的にこれと同じことだと思うんだよな。

つまり,対処方法が前提に内包されている問題をより広げてしまう,という失敗例。

こういうの,先人たちは,何かうまいこと教訓にしてたりことわざにしたりしないだろうか。色々考えてみたんだけど,屋上屋を架す,ぐらいしか思いつかなくて,それはちょっと違うなあと思ったり。

もしいい用語がみつからなかったら,「車屋のキクチのパラドクス」と命名します(わからない人は「人志松本のすべらない話ザ・ゴールデン」を参照)。

 

 

さて,このパラドクスだけど,もとが文科省の話にあるから,あるいは自分が今国立大学の教育学部にいるからそう考えてしまうのかもしれないけど,なんだかすごく「学校」の問題のような気がするのです。

 

学校というところは,社会と違って,努力したことが評価される場所。努力したことで技術を身につけて,技術が身に付いたらそれが評価される場所。この,努力>成長>評価のラインが一本化しているのが学校という世界の特徴。

世の中全体は決してそうなっていなくて,努力しても成長しないとか,努力しても評価されないとか,成長しても評価されないということが一杯あるわけです。あるいは,努力して何とかなるというのは,元の状態に差がない前提で,金持ちも貧乏人も,思想・信条・国籍・ジェンダー,そういうものに関わらず努力>成長>評価ができる。実際の社会は見た目で9割,とか言われちゃうほど努力の関係ない世界だからね。

 

で,この学校という世界の文化では,できない子=努力しない子,ということになってしまう。個人の内的世界に帰属されるわけです。スタートラインを均質にしたからこその弊害とでも言うべきか。だから努力しろ,というのが至上命題になってしまう。その戦略そのものを変える必要があるときに,解決策として,児童生徒は「とにかくその方向で努力する」ということしか教わってこない。

 

大学教育はそうではなく,努力量よりもオリジナリティや自由な発想が必要とされる。もちろん基礎力として,抽象的志向,論理的思考,アカデミックライティングなんかは必要だけど,それ以上の話は努力だけで解決できる話ではない。

 

でも,中教審はそれを求めるのね。大学を学校にしようとしているのね。

文科省の役人さんは,おそらく努力して国家公務員になったのでしょう。だから努力以外の解決策を容認できないんじゃないか。そうなると,パラドクスがどんどん深まっていくよ。

社会全体も,学校文化をひろげはじめている。こちらは不適応になったら,会社の倒産という形でみえてくるけれども,それでいいのか。

 

もっと具体的な問題で言うと,大学院を出て努力ばっかりしてきた学校の教員がつくる「努力の殿堂」みたいな学校世界は,もっと閉塞的でもっと柔軟性がないものになるぞ。そしてそれはもっとひどい不適応を生み出し続けるのです。

 

「できなかったから,できるように頑張る」は,個人に帰属されるし,努力は美しいという公理系では反論できないテーゼ。そりゃあ合理的な方略ではあるけど,もっと他にも合理性を判断する基準があるはずだ。

 

そこのところ,ぐっと考えてほしいのです。私も考え続けます。



MplusのアウトプットをRでプロットする

最近必要に迫られて,Mplusに戻ってきている。

MplusのMac版は基本CUIで,一応エディタアプリはついているんだけど,モデルをテキストで書いて,テキストの出力がなされるだけ。

グラフィカルなアウトプットについては,ver6からGH5という拡張子のファイル名が,HDF形式に対応したのでそちらで!となっている(記事こちら)。もちろんこれでは意味が分からんので,色々試行錯誤していたのだけど,ようやくだいたいの意味が分かってきたので備忘録しておく。

まず,Rにhdf5パッケージを入れておく必要があるみたい。

次に,こちらのソースをDLしてRで読み込む。読み込む関数はsource(filename)です。あるいはRstudioのメニューバーにcode>sourceがあるからそれで読み込んでもいい。

 

で,Mplusを実行した結果のgh5ファイル(もちろんMplusのコードでPLOTをしておかないと作られない。あと,何がプロットされるか,必要なものをちゃんと書いておかないとね)を読み込む。これは先ほどのmplus.Rというソースに含まれるmplus.load(filename)という関数を使う。これでgh5ファイルが読み込まれ,mplus.plot.histogram関数や,mplus.plot.scatterplot関数が使えるようになる。

 

おや,と思ったひとがいるかもしれない。そう,読み込んだものをオブジェクトとして保管しておきたい(つまり,mplus.load(filename)->obs名としたい)ところなんだけど,そういう概念はないみたいで,作業スペースの中にindividual_dataとかmatrix_data,means_and_variances_dataというオブジェクトが作られる。そこにはMplusで読み込んだ変数名とかがそのまま入っているので,mplus.***の描画関数で結果は描かれるんだろうけど,ちょっと美しくないね。Rのオブジェクト指向を無視した方向性。

 

ということで,やれることはわかったけど,まだ使いにくいので今後に期待!です。

 

 

 



連携研究会に参加

正式名称,「人文学・社会科学における質的研究と量的研究の連携の可能性」第三回研究会」に参加してきました。

 

量的研究では何をしているか,質的研究ではどのような利点があるかについてのご報告とディスカッション。

量的研究の例として渡邉氏が紹介しておられたのは,全くもって正当なやり方であって,まあうちの学生にもそのまま教えてもらいたいというような内容。もっとも,社会学系なので大規模調査の実例ですね。

心理学系やその他もう少し応用色の強い世界では,数千人規模の大規模調査をデザインすることは少なくて,学生相手にせいぜい数百人程度の調査。もちろんランダムサンプリングとは名ばかりで,学生心理学じゃないかと揶揄されることもしばしばあるタイプのやつです。規模が小さいので,研究の責任母体というか,調査の管理監督権限が,せいぜい研究室単位,あるいは研究者個人単位になるようなのが主なので,ちょっと状況は違うところがある。母集団が人類,といういいわけもあるしw

もちろん,大規模調査をする心理系もあるし,心理学の調査が全部ウソだというわけではありません。そもそも,細かい手続きの中で妥当性や共有知を持とうという方針はぶれるものでもない。質・量関係なしにして,悪い研究の例をあげつらって批判し合うのはヨクナイのです(この研究会に出るときは,特にここを注意しておかないと・・・です)。

 

さて,大規模調査の最後にデータのアーカイブ化に言及されてました。心理系は上記のような理由から,アーカイブ化が進む機運は全くと言っていいほどないけど,本当はそうすることで量的研究の品質保証にもなるわけです。

突き詰めて言えば,この「取ったデータを外部に開くことができる」ということが量的調査の最大の利点なんだなぁ。それっぽくいえば,データの一意性があるということだろうか。すなわち,コードブックなどを参照すれば,誰が見ても数値で1と入っているところは1なんですよ。他の解釈のしようがない。

もちろんそう言ったデータを使って,調査主体が気付かなかったような新たな知見を,他の分析者が発見するということはあり得ます。そうならないように頑張るのが,量的研究者の意地の見せ所,というのもお話の中にありました。

それよりも,データを取った人と分析する人の分業が可能,ということが量的調査の最大の長所なのです。

 

質的調査は,例えば逐語録を公開したとしても,文脈の解釈の仕方,背景要因の理解の違いによって,同じ表現でも,分析者に取って全く意味が異なることがある。敢えていえば,それが質的調査の長所なのかもしれないが,量的研究者が危うさを感じる最大のポイントはそこです。

 

関心相関性という言葉を持ち出さなくても(例えば帰属理論でもかまわない),データを取る時点で調査者の意図が,口調,項目,果ては研究対象の選出に至るまで影響してくることは否めない。であれば,自分が見たくなかったものは見ないとか,見えないものが見えないということが出てくる。極端な話「お前のさじ加減一つやんけ」で全部終わってしまう可能性がある。フィールドに入って,自分の気付いていなかったことに気付かされた,といっても,それもお前の中やんけ,という話になっちゃう。

いや,そうならないんだという話がK先生あたりから来そうなンだけども,今回の質的研究側のご報告(久保田先生)の例は,この危うさを感じさせてしまいました。なぜなら,フロアでは別確度からの議論が成立していたからです。

 

量的研究が対象にしているものは,一番控えめにいうと,「取ったデータが全て」=「取ってきたデータが論じるべき社会」ということになるんだよな。少なくともデータの中ではこのモデルが成立してますよね,っていう表現はそういうこと。そういう意味で客観性が担保されているし,数字は誰が見ても数字,つまりデータの一意性は確実に保証されている。

量的研究の最大の問題は,回答者がちゃんと本当のことを回答してない,という可能性が質的研究に比べて生じやすいということ。それを数で,全体の傾向性を語ることで誤差同士がキャンセルアウトするという前提で話をするんだけど,「お前の取ってきたデータは社会でも何でもないよ」と言われてしまう可能性が高いわけです。

もちろん,インタビューをしたら回答者は嘘をつかない,というのも幻想なんだけど。

 

 

さて次回は人類学系の人が話題提供者になるかも,です。「両方やるのがうちでは普通なんだけど,社会学ではどうして質的・量的アプローチがわかれちゃったの?」という問いかけは,三回目ではまだ早すぎるお題だったとかw

全六話らいしけど,さあどういう決着がつくんでしょうね?

 



MplusをRから触る

久しぶりにMplusを触る必要があって,コードを書いていたんだけど,Rでの生活が長かったからちょっと戻るのに手間取った。

 

例えば,データはタブ区切りでheadがないように作っておかないと。あと,これはマカーの問題なんだけど,データの改行コードはWindows用(CR-LF)でないとだめだとか。

 

まあデータの読み込みができれば,モデリングは本当に簡単にできるんです,M-plusは。

ただ,Mac版のM-plusの残念なところは,基本テキスト入力ーテキスト出力なんだよね。一応GUIのコードエディタはついているんだけど,プロットが描かれたりはしない。その辺が不便だなー,とおもってちょっとウロウロしていたら,Mutenの公式サイトにMplusをRから触るパッケージ,MplusAutomationというのがあったので,少し触ってみた。

 

結論から言うと,係数なんかを取り出したりすることはできるんだけど,基本はMplusのコード(inpファイル)を書いて,Mplusのエンジンで走らせて(これは当たり前),結果ファイル(outファイル)をRに取り込む,という感じで使うみたい。

library(“MplusAutomation”)でライブラリを読み込み,

runModels_Interactive()

とすると,別窓(GUI)がひらいて,どのフォルダを実行するんだい?って聞かれる。ここで指定したフォルダの中に入っているあらゆるinpファイルをoutファイルにしていくわけだ。

結果はextractModelSummarys関数で。引数としてoutファイルがあるフォルダを指定してやると,モデルのパラメタや適合度なんかを取り出すことができる。

モデルそのものの結果(負荷量等)が欲しい場合は,readModels関数で。結果の全てがリスト形式で取り出せるようになる。

 

ま,取り出すだけです。

理想的にはRのコマンドをMplusのエンジンで実行してもらいたいんだけど,さすがにそういうわけにはいかんわな。

 

カテゴリカル変数を含んだSEMを書くときは,やっぱりMplusに一日の長があるね。



先生,πではなくてeでした!

結論から言うと,これに俺のやりたい研究が書いてあった。ストライク過ぎて,しかも答えも書いてあるもんだから,朝から興奮している。

物理数学の直観的方法―理工系で学ぶ数学「難所突破」の特効薬〈普及版〉 (ブルーバックス)

なにかというと,システムがどのような状態のときに所謂「複雑」になるのか,ということについて,固有値問題を中心に書いてあるのだ。もちろんいくつかの仮定は必要とするが,要素同士の平均結合数が自然対数eであったときを境界に,複雑系になるという話である。ソシオン理論の藤沢先生は,これがπあたりのはずだ,としていたが,違ったのかもしれない(もちろんいくつかの仮定が完全にマッチするわけでもないので)。

 

さて,この本は,初版,第二版の両方読んでいるけど(持っているのは二版だけ),ブルーバックスの形になっているし,前の本が古くなってきたから,学生指導用にでも,と買ってみた。が,これが大当たりだったわけです。

実は,第二版にはいってから,固有値問題から複雑系を論じる,という11章が付加されている。固有値問題そのものについては,初版でもさらりと対角化がいかに便利か,という形で論じられていたけど,それが関係行列(本書では作用マトリックス,sayo matrixという。英語が素敵よなw)になったときの話は第二版になってから。

で,本全体の統一性を考えたときに,この11章がやっぱいびつだということで,今回の普及版では「やや長めの後記」になり,しかもwebでその続きが読めるという仕掛けになっている。

でもね,大事なのはこのweb版なんです!ここに複雑系係数の話が出てくる。

証明を一つずつ完全にフォローしたわけではないし,途中でポンと定理を導入されるので,今後時間を見て丁寧に読みこなして行かなければならないけど,この人の語り口調の特徴でそんなこと気にせずにスイスイ読めてしまった。最後まで。

 

なんでこんなに興奮しているかというと(筆者もかなり興奮して書いている),これは(数理)社会心理学の基本中の基本となる定理になりうるから。すなわち,人間関係,社会関係は複雑であり,線形モデルが成立しないということ,単純なルールやリーダーシップによる統制をするためには集団の構造をどのようにデザインしなければならないかということ,が論証されているわけです。

おそらくこの本をそう言う観点で読む社会心理学者はいないんだろうけどね。

 

一応最後に「πだ」とした師匠の本を宣伝しておきます。



健康診断丼2012

今年は今日が健康診断.去年は9月2日だったのに。

今回,身長が176.3と0.3センチアップ!体重が73.2と3.9kgダウン!体脂肪率は23,BMIは23.6なのでそれほど健康体ではないけれど,少し体重が下がったのはいいかな。京都ラーメンと飲み会続きだったのに,維持できていたのはありがたい。

もっとも,最初の身長体重等は機械が自動的にやるので,測定誤差がいろいろあるもんさ。あんまり信用しないでおこう。

 

血圧が132/86。もっとも,一回目は139/90で,「やり直します?」と聞かれたのでやり直しての数値。それよりも問題は,脈拍が78,76なのよね。これはおかしい。早すぎる。しかし,原因は想像がついている。

 

内診のときに「血圧高め?時々測定することをお勧めします。脈拍早いから,緊張してたのかな」って。そうです,多分心理的なもの。

 

だって,検尿がでなかったんだもん。

 

あの検尿ってやつは,嫌だね。尿意がないのに無理矢理出せっていわれるのもね。そして男性の場合は,小便器に並んでやるのですが,周りが次々回転していくのに,自分はまだなー,というときの緊張感。あれが却って良くない。

朝から水をがぶ飲みする等して,出やすいようにはしてきたつもりだけど,なにせこの暑さ,自転車通勤で,ほとんど汗になって出ちゃうのよね。

 

 

結局あきらめて(前々からよくこういうことがあるので,尿意がないときは無理しないことにしている),バーコードのついた紙コップをお持ち帰り。キンキンに冷えた研究室でペットボトルの茶をのみながら,時がくるのを待つ。

で,しばらくして「ちょっとトイレにでもいこうか」という軽いノリで出かけて,保健管理センターまでの暑い道のりをへて,提出してきた。

 

なんでこんな苦労をするんだ,いつも。

健康診断が心理的なストレスになって不健康になるぞw



長期盆休

今年は長く休みが取れた。

8/10〜20である。

といっても,11,12は滋賀県で研究会合宿があったので,休みだしたのは13からですが。

 

いつもの友人宅に二連泊。実家に一泊。妻の実家に一泊。実家に単身戻って一泊。

どこでもいつでも,だいたい飲んでラーメン食べて。

 

16日は夫婦デートの時間がもらえたので,映画テルマエ・ロマエをみてきました。

いやぁ濃い顔の俳優たち!ほんとに,現地エキストラに混ざっても全く遜色がない。

内容は少し原作と違うけど,まあ許容範囲です。

やたらとシリウスの内言が多い=阿部寛の台詞が多いので,最初はちょっとげんなりしたけど,よく考えたらそういうマンガだった。

映画館で恋人と見るというよりは,アベックで自宅でのんびりみる,というのが良いかも。だって見終わったら風呂に入りたくなるからね!

しかし決して,悪い映画(映画館で見る価値がない)というのではなくて,DVD新作レンタルとかならすぐ借りるべし,という意味です。

 

夜は崩し割烹技魯技魯(http://www.guiloguilo.com)で日本酒を楽しんだり。

 

 

翌17日は西宮で「8月15日の会」を。日程が変わってしまったけど,昔の院生仲間と飲んでました。まあ話題が子どもができただの,職場の事務のシステムがいやだだの,なんだかおっさんじみてきたけど,それも10年たったから,しかたないよねぇ。

 

 

ラーメンは山さん,天下一品,神座,ますたにに行けました。

特に山さんは滋賀県に移転してから初めていったわけで,これはもう絶品,是非また行かねばと決心を新たに。

ますたには,京都最後の昼食だったし,連日の飲み会で疲れていたのもあって冷やし中華にしたのだけど,やっぱりこってり京都ラーメンにしておけばよかった!悔いアリ!

 



天地明察を読んで

天地明察(上) (角川文庫)

天地明察(上) (角川文庫)

天地明察(下) (角川文庫)

天地明察(下) (角川文庫)

日本独自の暦,大和暦をつくった安井算哲(渋川春海)の物語,天地明察を読んだ。

この話,偉人伝のように思えるが,私がひしひしと感じたのは主人公の活躍よりも,主人公の活躍の場を作った周囲の人たちが,何よりすごかったのではないかと思う。

 

仕事の大きさを見積もり,どの程度の力量を持つ人間にどの程度の時間をかけて仕事を与えれば良いか,ということに関して,水戸光圀,大老の酒井忠清保科正之など周囲の「大人」たちが,まだ若い春海を信じて託して事業をさせている。

こうした仕事環境を与えられたこと,いい人に囲まれたことが何よりも主人公の才能だと思う。

 

具体的にどのような作業をして,どのような計測・計算をしたかについては描写されていないけど,それは求め過ぎというもんだろうなぁw 数学小説じゃないし。

 

ヒロイン役のえんもいい味を出しているのだけど,時代背景もあって,恋愛話をしていないのがいい。恋愛がなく,まだ情しかなかった時代だ。だからこそ色っぽい,艶っぽいんだけど。

だから映画には期待しない。きっと恋愛的要素が強く入ってくるだろうから。

 

大変良書でした。電子版で読んでも良かったかな。



ゼミ合宿にておもふこと

二つほどアイデアを思いついた。

 

一つはカーナビについて。二台の車でいったんだけど,距離が少し空いてしまうので,「相手の車は今どこにいるんだろう」というのがナビに出たらいいのにね。

24時間ぐらいしか効果のない,一時的なパスコードを互いのナビにセットしたら,互いの画面に相手の車の位置がでるとか,相手の車をタップしたらハンズフリーで通信できるとか,そういう技術は作れないもんかなぁ。

iPhone搭載の車になったら可能かもね,Appleが車を作れば良いのか。

 

 

もう一つは花札。麻雀でも良いんだけど。

日本文化に親しむということで,花札を持ってきて,みんなでルールを探り探り調べながらやっていたんだけど,結構むずかしいもんですな。

コイコイをしたんだけど,役がどうやってできているのかわかりにくいのです。

十二の月×四枚=四十八枚の札があるんだけど,どの月にもカス札,五点札があって,あとは十点・二十点の札が混在している。この辺がややこしい。

 

なので,札にICチップでも埋め込んで手持ちの札をデッキにセットしたら,どことどこでリーチがかかってますよ,とか表示されるシステムを作ったらどうだろうか。

 

いや,もちろん物理的実体を持たせず,例えばスマホやタブレット上で通信しながら対戦するようにしたら,ソフトウエア上でこうしたテクニックは簡単に実装できる。

でも,やはり実際の札,牌をもってやりたいじゃない。

宝くじでも当たったら,どこかに頼んで作ってもらおうかなあ。

 

 

上記二点のアイデア,ビッグビジネスの予感がします。が,欲しい人にはあげるので誰か夢を叶えてください(もう思いついたり叶ったりしてるかも,だけど)。




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