Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2013 / 2月

PPS読書会に参加しました

PPS読書会に参加しました。
朝10時スタートの19時終わり、5分休憩を2回挟むだけのタフなミーティング。
でも疲れや時間を感じさせなかったなあ。とても楽しかったです。
もう一つの驚きは、遅刻や遅延のない勉強会ってのもやれば出来るんだね、ということ。学者なのにねえw

社会心理学認知心理学において、再現性がないことについてみんなどうするよ、というテーマでしたが、皆さんの考えは「実験結果の再現可能性」特集号読書会 – Togetterを参照していただくこととして・・・。

パブリケーション・バイアスって、狭義には「有意差のある論文しか採択されない」ということだろうけど、広い意味では「支持的な概念的追試がさいようされがち」とか「綺麗すぎるデータは怪しまれるからちょっときたないのを入れておこうと筆者が思うこと」みたいなのも含まれるんだな、というのが新しい知見でした。もちろん、その背後には業績主義による就職事情というのがあるわけだけど。

もうひとつ考えていたのは、社会心理学は早く科学になりたいっていうけれど、科学も予測科学と説明科学があるわけで、説明科学と捉えている人にとっては、再現性の問題ってピンと来ないんだよな、ということ。現代社会を描写する、記述するというのも社会心理学の一つのお仕事なわけで(少なくとも私はそう思うわけで)、であれば再現しないことなんて当たり前でしかない。
じゃあガーゲンみたいに「心理学は歴史学だ!」といってしまっていいのか、という問題にはなるんだろうけど。

後夜祭で話したのだけど、科学コミュニティってもともとは同人、科学雑誌ってもともとは同人誌。同好の士の集まりだから、「お前データ捏造してるんじゃねえか」といった疑いの眼差しを持ち合うのは、趣旨に合わないんだよね。そういうことされたら「じゃあ俺は他の団体に行くよ、団体をたちあげるよ」といったことになるわけで(実際なっている)。
質を担保するために厳罰化、というのは馴染まないんじゃないかなと思うわけです。

追試が行われない、というのを嘆く気持ちもわかるけれども、そもそも自分の好きなことをしなさい、オリジナリティのあることをしなさいと教育したりされたりしてきた人が、科学コミュニティにはいっていきなり「オリジナリティもいいけど追試もね」とか「オリジナリティがないなら追試職人になりなさい」といわれてもなぁ、と。そもそも内発的に動機づけられてないから追試が行われていないからで、インセンティブをつけて外発的に動機づけるってのは限界があるよなーと思いました。

まあでも勉強になった。というか、もっと勉強せなアカンなあ、と思いましたよ。



山口杉玉の会

山口に来て,湯田温泉界隈で学生と飲むことは多いのだけど,実は山口駅周辺もいいお店がいっぱいあるのですよ。

今でこそ公務員が羽目を外すことが出来なくなって,山口周辺も寂しい感じがしてしまいますが,山口駅から県庁までの通りはメインの繁華街だからね。商店街もあるし。

で,その商店街の中のお店,「瑞穂茶寮」でひらかれました,杉玉の会。

店長さんが昨年の春から山口に来られ,それまで関西でやっていた杉玉の会,というお酒が好きな酒飲みの会を,こちらでも開こうということで,第一回の集いが開かれました。

5000円でいい日本酒が飲み放題。
しかもスタートが15時という,まだ日の高いうちから,日本酒をどんどんもらって,いい気分。
職場を離れて,たんにお酒が好きだというだけの趣味のつながりが出来たことは,大変喜ばしく,いい経験にもなるんじゃないかなあ。

次回は三月,岩国の方に遊びにいって,酒蔵見学して、帰ってきてこっちで飲む、というプランもたちました。

定期的に,ゆるーく,ゆるーく,やって行けたらいいですねえ。



研究集会を開く

関学時代の後輩,O君とH君を招いての研究集会を開きました。

山口に6年もいるのに,彼らをご案内,という約束をずっと果たせずにいたので,これで一つ果たした感じ。

お昼に瓦そばを食べ,夜にフグと日本酒を食べにいきました。

もちろん日中(と懇親会)では主に研究の話をしてて,それがいちばんよかったのです。

社会心理学の話が出来る仲間が周りにいないので,春からの調査計画について,批判的コメントが欲しかったのです。内容が専門的かつ,一応こちらの飯の種ですから,誰にでも相談できるという内容でもない。気心の知れた仲間がいる,ということは大事ですな。

ちなみに夜の部二次会では,後輩に「あんなつまらん論文かきやがって」と思いっきり駄目だしされました。まあこちらもされっぱなしではなかったですがw,同席した学生が「いつも偉そうにしている先生が,言われ放題だ!」というシーンを見たのはよかったんじゃないですか。

学問の世界に上も下も老いも若きもなく,ただ面白いかどうかで勝負できる。
そんな世界,そんな時間があることを知る,その世界で生きる,という幸せの形。



集中講義

今年は二年後期の「心理教育測定法」を集中講義にした。
2月12,13,15の三日間で15時間やる。

学内の講義を集中でやるのは珍しいパターンかもしれないが,いくつか理由が。
一つは今年度から,後期に受け持つ授業が一つ増えたこと。
これがデータ処理法という統計ソフトの使い方なので,ちょっと内容がかぶるんだよね。

もう一つは,教育効果として。
前期に統計法,後期にデータ処理法ときて,後期のその後にこの測定法をやる,というのが委員じゃないかと。データ処理法と測定法を同時にやると,学ぶ側が混乱したりするかもしれんので。
統計の理論と分析技術を学び,卒論発表会の後で実例を学んだ後で,根本的な測定,モデリングの話をする,というのがいいんじゃないか,と。
三年生の前期にはミニ卒論という実践がまってるしね。

まあ集中講義というのは、やる方も受ける方も大変なんですけど,もう一つ教育上のメリットがあって,それは「ストーリー性を維持しやすい」ということです。
前回の話は〜,といって講義を始めても忘れている人がいるのに,第二回目で教えたように〜と十回目ぐらいに言ったらノートをめくってめくられて。あー、そういえば、みたいな話になったり。
その点,集中講義だと「昨日の話だが」とか「午前中言ったように」とかいうので,学生の方も記憶をまだ保持している。
また,15話分のストーリーとしても話しやすい,聞きやすい。

ということで,やってみたけど,そこそこ充実していたし,楽しかったし,最後の試験回答を見ると伝えたいことも伝わっていたようで,悪くないなと思った次第。

一応来年もやります。このスタイルで。
体調管理や公務との日程調節が大変ではありますけど,年度の最後にこれがあると,すっきりするからね!



無題

人間誰しも,悪いことや,汚いことを考えている生き物。
でもそれをかくして,表面上は美しく振る舞おうとする。その精神はすばらしい。

もちろん,悪いことや汚いことを考えずに,表も裏も清廉潔白であるのがベストだろう。
そういうのを,例えば男性であれば,紳士というのだろう。

どうせ誰しも,根は悪人なのさ,とうそぶいていきるのは格好わるいと思う。
それは事実として、そこからどうするか、だろう。
しれっと「そういうものさ」と嘘をつくことが、大人になるということではない。

嘘をついて生きると,さらに嘘を重ねなければならないシーンが出てくるので,余計に生きづらくなるじゃないか。

ということを,常々考えている。



気持ち悪い,のだ

ミスター・ゲスの極みがプロデュースする性欲合唱団の一員が,お泊まりデートしたと報じられたので,その責任を取って丸坊主にし,涙の謝罪をしている動画をYouTubeにアップしたことが,昨日芸能ニュースで報じられた。

ネット上ではすぐに話題になったから,「頭を丸めた女性の泣き顔」を全く見ないですむ訳にも行かなかったのだけど,ちらりと見ただけですぐに「気持ちわるい」と思う。不快。

いろいろな人の様々なコメントがネットには転がっている。しかし,俺に言わせりゃあ「公序良俗に反する」こと,の一言に尽きる。

これを機に,自分の中の基準を考え直してみたのだが,次のようになる。

  • アイドルをうたう女性が,処女性を売りにするというのは品がないけれども許容範囲。
  • アイドルをうたう女性に,ファンの男性がその処女性を求めて興奮するのは,同様に品格の問題なので一般論として許容する。ただし、そういうやつと友達になりたくない。紳士たれ。
  • アイドルをやっている女性が,恋愛禁止はおかしいとか言うのは許容できない。それはそういう条件で契約したのだから遵守すべき。そんなことになるとは思っていなかった、というのは自分が馬鹿であると言っているわけで,個人的には許容できない。それでも社会的には介入すべきである。
  • アイドルをやっている女性に,恋愛禁止を強要することは許容できない。ミスター・ゲスの極みは,扱っている商品にも対象とする消費者にも経緯が感じられないので地獄に堕ちるといい。
  • アイドルをやっている女性が、契約だからといって,頭を丸めるのはオカシイ。しかもそれを誰にも相談せずに自分でやりましたというのも間違っている。
    • 本当に本人の意思でそうしたのであれば,そういう考えに洗脳されていることを問題視すべきであり,周囲の人間が介入するべきである。
    • 本人の意思でなく,事務所の意向であるとするならば,それを強要するのは人権問題であり労働問題でありいじめの問題であり体罰の問題であるから,社会が介入すべきである。
    • 事務所と本人が「どうする?坊主にでもするか?そしたら話題になるやろ?」「そうですね,うひひ,ちょっときつめのボケをかましてみますわ」ということでやっているのなら,完全にスベっているのでもう表に出てこないでください。「映す価値なし」級。
  • アイドルをやっている女性が何らかの事情で坊主頭になって,反省しながら泣いているという動画をネットにのせて世界に発信する事務所は許容できない。公序良俗に反する行為であり,社会的に罰せられるべきである。

あのような映像を見て喜ぶ人がいるのだろうか。
少なくとも,自分の子供には見せられない。

折しも,いじめや体罰の問題(アマでは桜宮,プロでは柔道界)が報道されている時期に,この映像や顛末を公衆の目にさらすのは,この問題を助長することにしかならない。日本にはいじめや不当な罰という社会的風潮があり,大人になるまでにしっかりそれを学習しなさい,というメッセージになっている。だから,重ねて,公序良俗に反すると訴える。周りにも「これは品がないことである」という感覚を伝えるべきである。

個人的に,女性が泣いているというのが嫌い,という感覚がある。いかなる理由であろうとも。これはもう,生得的なものだろうか,理由が説明できないレベル。でも,理由がいるレベルかな。人間,嫌なときは嫌だと言っていいだろう?

この件,女性はどういう風に考えるのかなあ。



卒論提出の儀

昨日で一月が終わりまして。

一月末日は卒論提出の日です。
事務の〆切は17時です。

が,そこまでにギリギリ書き上がらない学生もいるので,先に事務所類(受領書)を出してこいといい,本体が出るのを少し待ったりします。本来よくないことですが。

で,あとは「いつでるのー」といいながら待つわけです。

昨日は22時までまちました。

いつも,「なんで待ってるんだろうなあ」とか思います。
極端な話,ハンコついておいて「明日までにやっとけよー」で翌日受け取ってもいいわけです。実質的には変わらないんだから。
でも,毎年待っています(もちろん待たなくても終わる学生がほとんど)。

俺に提出するのは明日でもいいよ,となったら,多分同じ理屈であさってでもいいよ,になってしまいそうだからです。
俺のなかに,きまりは守るが,一度破られた決まりを二度破るのはそんなに大罪じゃない,という感覚があるのです。そういう自分だと言う認識だからこそ,「その日」というルールは遵守したい,と思っています。

ちなみに,二度三度,と破られた決まりは自分の中でねじを巻き直し,ある日を境にリセットすることがあります。周りから見たら,急に厳しくなったとか,急に態度が変わったと思われるかもしれませんが、そういうことです。

だからダイエットもうまく行ったり行かなかったり何だと思っています。




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