Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2014 / 2月

数理社会心理学の基礎

国立大学入試二次試験二日目の業務を終えて長崎へ。師匠・学友と研究打ち合わせ。

夜遅くまで及んだ話し合いの中で,数理社会心理学を確立しようという話になって(ちなみにほとんど素面),社会心理学の理論を作るための原理としてどのような公理をたてるべきか,わいわい言うてました。

そのときのただの思いつきなんだけど,アシモフのロボット三原則を逆転させるような形で,次の三つの原則をおいたらどうかと提案してみた。

(狭義の)社会心理学の三原則
第一条 社会的単位(個人・個体)は死にたくないものとする(自己保全の原則)
第二条 第一条に反しない限り,社会的単位は他者に制限されない自由を求めるものとする(主体性の原則)
第三条 第一,第二条に反しない限り,社会的単位は他者と共にいることを求めるものとする(親和性・社会性の原則)

そこそこ悪くないと思ったんだけど,師匠は社会性を考えるのであれば人間に限定せず,社会的存在一般,あらゆる動物(昆虫やバクテリア,多細胞生物一般というレベルまで含んだ社会的生物)を対象にするように考えるべきだ,という。そこでいろいろ議論してみたが,これはまだうまくまとまらない。今のところ次の二条までで止まってしまう。
(広義の)社会心理学(社会的存在,社会生物)の原則
第一条 男性は女性,女性は男性を好む(性の原理)
第二条 社会的単位は複製を作らなければならない(自己,子孫の再生産による社会の原理)

 

社会性,関係性の公理をたてたらそのあとは,扱うべき元(仮に関係子と呼ぶ)を定義し,関数の形で表していくつかの定理(例えば,かくかくしかじかで示される状態を社会的に生きていると呼ぶ,といったような)を書く。それが数理社会心理学の基盤になるはず。これを論文にしたら,Natureに掲載されるんじゃないかとかいいながら盛り上がってました。

 

半分冗談,半分マジな話。



卒論発表会,終了

卒論発表会,今年も楽しかったなあ。

痛感したのは「時間」。かければいいってもんじゃあないけど,やっぱり時間がない中ではいいものができない。今回うちのゼミ生は一年間,かわらず一つのテーマでやってきたし,追い込みのときも「そのことだけ」ができる環境にあったからか,よかったと思う。

 

夜の追いコンでは,スピーチのときに何人か泣いていました。初めての光景に驚いた。

うちのゼミ生は壇上からおりるときにマイクを借りて「そういえば明日昼からフットサルやるので,是非」と宣伝。みんな「え,このタイミング?」ってなった。さすがだ。



子どものおもちゃの与え方

長女が来週末誕生日を迎えるのだけど,わたくしが出張で不在なので,一週間繰り上げてお誕生日をお祝いすることに。ケーキを買って,夕飯も彼女の好み(=唐揚げ)にして。

誕生日プレゼントは?と言われるまで,そんなものがいるのか,とすっかり忘れていたのだが,そういうことなら,とトイザラスに。欲しいものがあるというのです。

それがこれ。

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お隣の子がお年玉で買ったらしくて,欲しいという。そう言えば,クリスマスプレゼントでも「スイコレ」が欲しいと言ってたけど,同系列なのかしら。

とにかく,モノを見てみないと分からないのでトイザラスにいったわけだけど,行って実際に見てみても,何が良いのかよくわからない。いわゆる,スマホのまねごとをするものなのである。WiFi機能がついているのかな?同じ機種を持っている子とメールができたり,写真が撮れたり,写真をデコレーションできたり,簡単なゲームができたり。スマホのまねごとなので,タッチスクリーンなんだけど,ボタンもついてたりして。

正直,この値段でタッチスクリーンを実現しているのはすげえな,と思いました。画質は良くはないけど,そりゃまあ子どものおもちゃだからね。俺が彼女ぐらいの頃は,まだゲームウォッチがあるかないかのレベルで,キャラクターを動かすのも白黒画面の,軌道がうっすらでている中で黒く濃くなってるかどうかで判断するものだったから(今時の子には伝わらないだろうなあ,この表現w),技術の格段の進歩ですね。

予算は5000円ぐらいかなあ?と思っていたので,5000円をちょっと超える値段だったから,俺の中では予算範囲内ではあったのだけど・・・

 

 

どうにも気に入らないんですよ。

何が,って,彼女にはお古のiPhone4Sを与えてあるんです。iPhoneですよ,あいふぉん!カメラも動画もメールもついてて,パズドラも入ってて・・・拡張性はこんな子供染みたおもちゃの何倍もあるものですよ。もちろんインストール・アンインストールは親の許可がいるし,土日はiPhone・iPad禁止なので取り上げられる,という親の監視下にあるものだけど・・・。

本物を持っているのにその子供騙しのパチモン(失礼)で満足するってどうなん?と思うわけです。いや,そんなので満足させていてはいけない,本物の人生を歩んでほしい(「からくりサーカス」),一流は一流を知る(「逆境ナイン」)ことをわかってほしい,という親としての願いがあるわけです。

とはいえ,隣の子と一緒に遊びたいという,社交性を大事にしたい,させたいという気持ちもある。ううーん。

 

ということで,親がずっと難色を示していたのです(ちなみに妻は妻らしい理由で反対)。で,Wii Uのソフトと同じぐらいの値段じゃないか,と水を向けてみたら,そうかとばかりソフトコーナーへ。前々から動画とかで見ていたNintendo Landを手に取って,これでいい!と。値段的にも同じぐらいなので,じゃあそれで,となった。

 

しかしなあ。親としては,子供は風の子であってほしいのです。今時古いのかなあ。でも,外で遊んでくればいいじゃない,とはいつも思うのよね。土日はiPhone・iPad禁止にしたら,早起きして親が寝ている間にゲームやりまくっとるからなあ。放っておいたら一日何時間でもゲームし続けているので,それを助長するのもなあ・・・。とか思います。

子どもに適切なおもちゃを買い与えるというのも,難しいもんだなあと思います。時代が違うからなあ。大人になってもスパン!と割り切った答えが出せないでいる。

でもまあ,楽しそうに騒がしく遊んでいる姿を見て,他のおもちゃのように,忘れ去られたりなくされたり壊されたりする可能性が少なそうなので,まあこれはこれでよかったのかな,とも思いますけど・・・。

 

ふむぅ。

 

 

追伸 二つ買ったら500円OFFというのにつられてぷよぷよテトリス 特典なしを買ってしまった。大人になりきれない私たち。

 



二重に身悶えする

娘が習っているヤマハ音楽教室では,毎年JOCというコンサートをやるのだが,OはOriginalのOで,自作の曲をやるのである。
自作といっても,秋口に「モチーフ」を考えてきて,一小節ないぐらいの小さなメロディを,先生と二人で膨らませていく。

この指導の過程が,大学での研究指導に似ていて,とてももどかしいという話。

娘は今回,ハロウィンパーティーというテーマで「不思議な感じの曲にしたい」と言っていた。
最初に考えついていたメロディはもちろん彼女のものなんだけど,そこから先生が「いいねー,じゃあこんな感じはどう?こんな感じもいいよ?こんなのにしてみようか」とどんどん展開していってくれる。

そうして最終的に出来上がったのがこれ。(発表会の演奏)

でも,正直なところ,本人は途中から「なんかちがうな」と思っていたようで,ここまでトリッキーな感じのする曲にするつもりはなかった模様。なんか難しくなっていくし,練習で間違えたらしかられるし,でも自分の作った曲でしょ,といわれたらそうだしで,少し辛かったようです。

先生は先生で,この子の技量ならここまでのテクニックを入れられる,もっと曲としての質を高めていける,とちょっとずつ階段を上らせよう,というすごく教育的な配慮があって,それもよくわかる。熱心でいい先生なんですよ。でも,先生が熱心になればなるほど子どもはちょっと辛くなっていくという。

横で聞いている親としては,子どもの技術があがっていくし,出来上がりを聴くとちょっと驚くのです。こんなに弾けるようになったのか,と(親ばかですよ,ええ)。
ただ,その苦悩している間も「がんばろうね」とかいいながらモチベーションを出させるのに苦労するので,そこまでやらんでも,という気もする。別に音楽家にするつもり・なるつもりもなく,まあ教養として鍵盤ぐらい弾けますよ,が目標でしょうから。

聞くに,子どもにモチベーションを出させるためには,とても上手な演奏を見聞きして,私も僕もあんなふうになりたい,弾きたい!と強烈に思うと,嫌な基礎的練習でもできるのだそうです。なるほど,そうだろうね,と思います。

とまあ,こうした指導のあり方をみていると,親の視点+教師の視点,どっちの視点もわかるので,二重に身悶えするのです。
特にオリジナル曲を作ることにかんしては,研究指導のあり方にすごく似ている。

学生が研究のテーマを持ってくる。じゃあこんなのどう,こんなふうにできるよね,やってみたら。技術的にはこういうことをするとできるんだよ,意外と簡単だからやってごらん,それができたらこんなこともできるよ・・・・と,こちらとしてはどんどん先をみて誘導していく。常に学生の能力のちょっと上のレベルの課題を出しながら。
ただしそのとき,学生が「なんかちがう・・・」と感じ,モチベーションが維持できなくなってくると,教員の指導が空回りするわけです。
そういうとき,こちらとしては「あなたの研究(曲)なんだから,したいようにどうぞ」というつもりだし(事実そう伝える),計画が変わったというのであればいくらでも対応する。でもこの言い方が,逆に,学生を追いつめているんだなあ。

さらに。締め切りがある中で明らかなミスはなくさないとダメだから,それは厳格に対応する。
そうすると学生は正解を探しにくる。まあ学生の方からするとそうするしかない。
そうするとこちらからは学生の創造性がなくなったようにみえて,なんというか,萎える。
学生の所為にもしたい。でも自分が学生の能力をスポイルしてしまったのではないか,とも思う。
「すごい先生だ,この人のようになりたい!」と強烈に思わせることができていないのだ,と思うと研究者としての自尊心もなくなるわけです。
(あまつさえ,あの先生は女に甘いとか,好きなやつしか指導しない,などど揶揄されることもある。こっちはそんなつもりはもちろんないのに。)

そういう研究者,研究的教育者としてのビジョンも重ね合わさって,娘のレッスンをみるのが辛かった。

発表会が終わって晴れやかな顔になり,次はもっと前から準備して困らないようにしたいという娘のいじらしさ。いつものテキストにそったレッスンになってホッとした顔の愛おしさ。俺は娘はよくやった,と思いますよ。

そしてまた,研究的教育者としても,しっかりしないといけないなあと,気合いを入れるのであります。




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