問うことは人間の最大の能力

大学院で統計を教えているんだけど,内容がマニアックになるので講義してます。自作のプリントを使って。

でも,このコマの名前が「〜演習」と演習ものになってる。学生に何か演習してもらった方がよいのだろうか?と思うんだけど,それに気づくのはいつも評価方法について事務に問われてから。
昨年はデータを渡して分析してみろ,といったし,その前はこれこれの分析方法のなかで自分の興味があるやつについてプレゼン(発表)してみろ,という課題にしたが,イマイチ感。

そこで今回は,森博嗣方式を取り入れてみました。
すなわち,「質問させる」です。
森博嗣方式は,質問がなかったら60点。質問に応じて点数が変わる。加点することもあるし,減点することもある。

問う,ということは理解の程度に応じて,あるいは能動的な学習態度に応じて出てくることなので,問い方,問いの内容によってその人の能力が評価できるという考え方。
H先輩も,問いの立て方が一番大事なのであって,問いがあれば答えは見つかる,問えていない理論は駄目,という(個人的には,下手な問いをたてるぐらいなら,問えないなーといいながらぐずぐずしていたい,と思うんだけど)。
確かに,講義の準備も大変だけど,期末テストの問題を考えるのが結構大変だったりするしな。

さて,実際にやってみました。人数も少ないので,お茶を飲みながら。
やってみると,確かに当人のキャラクター,理解度が分かるわけです。こちらもどういう問いがくるか分からないし,その場で答えを探すので少し緊張はするけど。
このやり方,悪くないなぁと思いました。大学院の演習なら,十分やれるやり方だなぁ。
おすすめです。

最後に余談。
さあ問いなさい,というと「初歩的な質問ですが・・・」とか「変な質問ですが・・・」という枕詞をみんなつけたがる。あれはやめてほしい。その場で突っ込んだんだけど,「初歩的(変)じゃなかったら許さんぞ」と思うわけです。
そもそも,初歩的かどうかが分かるというのは,初歩ー発展の軸が出来ていて自分の問いの程度をきちんと評価できていないといけない。今後その問いがどのように展開していくか,というのが分かっているのにあえて問うのはどういう意味があるのか,ということでもって評価しちゃうぞ,というところです。
日本人的な,セルフハンディキャッピング的な表現は,学問の世界には不要だと何度いったら・・・。