入院と手術

火曜日の朝イチで退院した。想像していた最も短いコースで、大変ありがたいことだ。初めての入院だったので、顛末を記録しておく。

事故は前回の記事の通りで、火曜日に事故ったのになんの処置もされず、入院は土曜日からとなった。手術は月曜日で、手続きをする事務方が月朝から動かないから土曜日のうちに入院ということなんだろう。つまり無為な2日間を過ごすことになる。コロナのせいで完全面会謝絶なので、ただただ寂しい2日間だ。

とはいえ仕方ない。入院までに時間があったのでゆっくりと準備できてラッキーだと思おう。キャリーバッグをコロコロ引いて土曜日9時前に病院入り。まずは麻酔科での説明を受けるところから。

予約時間に来ていても待たされるのは大病院の常。15分は待たされたが、やっと医師とお目通りが叶う。話の内容は全身麻酔+ブロック麻酔になるよ、麻酔かけたら一分以内に寝て、終わったら起こすから、信用しろ、それだけ。まぁまな板の上の鯉ですわ。麻酔のメカニズムは完全にわかってないみたいな話も聞いたことあるが、なんとなく信用出来そうな人だったのでお任せしますと言うほかない。話は5分で終わってしまった。

さてあとは入院まで暇である。仕方ないので売店でコーヒーでも飲んで待つ。

11時。時間が来たので入院受付へ。ここで「こちらの都合で、個室になります。差額は必要ありません」と言われたのでラッキー!と思っていたのだが、後ほど案内されたのは思いっきり大部屋でした。まぁ損したわけじゃないので黙って受け入れましたけどね。

入院受付の後すぐ部屋に行ったのではなくて、まずはコロナの検査がいるとのこと。病室の前の面談室みたいな狭い個室で、抗原検査(鼻の奥まで綿棒突っ込まれる気持ち悪りぃやつ)をやって、結果が出るまでここで待て、という。個室でずっと1人。早速暇。お昼もここに運ばれてきて、個食。寂しい昼食でした。

陰性だと判明したのち、部屋に案内される。さぁ入院どうぞ、となってもやることがない。とりあえず持ってきた寝巻き(作務衣)に着替えて、本を読んだりゴロゴロしたり。

検温や血圧測定がある。予定より少し高めだったりしたけど、白衣性高血圧とかいう名前もある現象かな。看護師さんも「ちょっとたかいか。でもここ病院だから大丈夫」とのこと。まぁここほど安心な場所もないわな。しかし俺も人の子、知らないうちに緊張してたのかもね。

スタッフから定期的に聞かれるのが、「痛みをマックス10とすると今何点ですか」というやつ。VASと言われる報告法らしい。これが難しいんだわ。痛みもいろいろあるじゃない。あと俺の人生最大の痛みって何やろか。間隔尺度水準じゃなさそうだな、とか。わからぬままに「5ぐらい?」とこたえたら「「5ですか!」と驚かれたので多分間違えたっぽい。いや間違えってなものではないと思うけど、スケールがずれてたかも。そのあとはちゃんと2,3くらいで報告するようにしました。

あと、毎日の排尿、排便の回数を記録して言わないといけない。「1日は何時からカウントしますか」と聞いたら、6時スタートだと即答。なるほど、バッチリ定義されてる。結局、私はだいたい排尿5の排便1くらいが平均でした。ところで同部屋の他の人の報告も、聞くともなく聞こえちゃうのですよ。「痛みは3、トイレは12の0」とかね。4人部屋なんだけど、俺以外の3人は毎日2桁排尿しててそんなに行くもんか?!と思ったり。

さて、定期的にくる食事はまぁどれも美味しく、薬剤師さんや看護師さんも親切で、楽しい入院生活でした。困ったのは夜の消灯で、流石に9時にはまだ寝れぬ。しかし消灯と言われてるので、テレビも見れない。仕方がないのでiPadで漫画読んだり、アカンかな?と思いながらiPhoneのライトをつけて本を読んだり。光は本でかくれたと思うけど…。「やる夫まとめ」アプリで光武帝の話を読んだりもしてました。

日曜の夜からいよいよ手術の準備です。0時から断食。月曜の朝9時から飲み物もダメ。制限されると欲しくなるけど、ここは我慢するしかない。

月曜の朝から点滴準備で管をつける作業。この注射が痛かった。管が少し太いのと、手の先の方でやるから痺れが来たりするんだと。処置してくれたお兄さんがすごく優しくて元教え子に顔が似てたもんだから許すけど、点滴って嬉しくないなって思った。普通に肘の内側にしてくれたらいいのに。あとエコノミークラス症候群にならなくするためのストッキングを履きました。白靴下のおっさんって、絵面が馬鹿馬鹿しくないか?

手術は14時スタートの予定。朝の回診で確認されて、念のため?と右手の手首に○印を油性ペンでつけられる。まさか間違えたりしないよねえ、と思いつつ、ファイルセーフはいくつあってもいいもんな。

主治医は若くてちょっとぶっきらぼうな感じのするカッコいい兄ちゃんなのです。回診で「手術は夕方になると思います」とか言われて、ありゃまた予定が変わったか、と思うなど。最初は月曜の朝イチって言ったのに、それが14時になって、今度は夕方か。焦らす作戦かよー。

と思ったけど、結局14:30から手術になりました。昼前から点滴管に点滴をつけて、少し前に元教え子似が迎えに来て。2人で手術室まで移動。手術室は地下にあるのね、この病院。なんか改造とかされそうじゃないですか。ドキドキ。地下に着いたら、いくつも手術室があって、俺が案内されたのは第九手術室でした。そんなにあちこちで手術って行われてるのね。医学ってすごい、人間ってすごい。

手術室では麻酔科の先生から生年月日・氏名の確認の後、どこを手術するのか自分の口で言えと言う。右鎖骨です、と答えたらじゃあやりますね、てなもんで。この口述試験にまちがえたから、何が起こったんでしょうね。そのあと手術台の上に乗れ、と言う。テレビで見たことあるような部屋で、すげえな、ちょっと怖いなと思ってたんだけど、乗ってすぐ、マスクの上から酸素マスク被される。ハイじゃあ麻酔して行きますね、

とその後の記憶がもうない。次は終わりましたの声を聞いて、あとはガラガラと「あ、運ばれてるな」という感覚があるだけ。部屋に戻って、足から採血されたのは覚えてるけど、右手が痺れて動かない。こっちはブロック麻酔の方かな、と思ったりする。看護婦さんが変わったみたいだが、眼鏡がないので小柄な感じの人、と言うイメージしか持てない。勝手に上白石萌音だと思うことにした。部屋は夕食の音がしてたから、18時ごろだったんだと思う。水を飲ませてもらったことは覚えてる。

その後、1時間後に様子見に来ますね、と言われて、目を瞑り、様子見に来られたタイミングで目が覚めたから1時間経ったのかな?或いはもっとかも。その時もまだ右手の親指と人差し指は痺れて動かない。でもなんとかちょっと頑張って、トイレに行かせてもらった。手は痺れてるが、それ以外のことは頑張ればできるな、と思う。術後はトイレや水を飲むのに看護婦さんの許可がいる、と聞いてたけど、このタイミングでもう許可は出てた。なんだそりゃ。

そのあと2回くらい、寝て、起きて、3回目くらいの目覚めが6時の起床時間だった。よく寝たと思う。ここまでくると手の痺れもなくなり、トイレに行くのも介助なしでOKになる。血圧も低いし、熱もなく、入院前の感覚に戻った感じ。メガネも取ってもらって、上白石萌音ではないこともわかった。

こうして振り返ってみると、全身麻酔の手術って、何をされたかわかんない。月曜の14時半から火曜の6時までの間に、何やら変な状態になったのはわかるけどほとんど寝てたし、覚めると元通りなんだよねえ。麻酔ってすごい。医学ってすごい。人類ってすごいな。

と言うことで、すっかり元に戻った感があり、朝ごはんも食べたし、水も飲める。朝からの採血に萌音ちゃんが3回失敗して、代打の看護婦さんが来ることになった。普段の採血は一発どりしてくれるんだけど、足の血管探しは難しいらしい。足の血管をぐりぐりされるのは気持ちの良いものではないが、仕方ない。点滴の管入れの次に嫌な事でした。

その後主治医がやって来て、どう?もう元気でしょ?みたいにぶっきらぼうに聞く。嫌いじゃないよ、そのサバサバした感じ。「三角巾はもういらないでしょ」ってポイっと取られちゃった。で、「どうします?帰りたい?かえります?」って聞くので「帰りたい。帰ります」と答えると、「そ。じゃあ今日退院ね。2週間後に外来で会いましょう」と。すごくさっぱりと、唐突な感じで退院が決まったのでした。

その後、退院用に傷口の処置をしに来てくれるチームがくる。よくわからないけど、骨折が5センチほどの外傷に変わったわけで、シールをぺたりと貼ってくれました。これも昔から比べたらきっと進歩した何かなんだろう。包帯でもギプスでもなく、これで終わり?って感じのあっさりした処置。骨の方は治ったわけだから、もしかして今はすごく軽症の人なのか?俺。

で、最後に来てくれたのがやたらと明るい看護婦さん。退院専門の明るい人、なのかしら。「じゃあ退院のお片付けしましょうー!」ってな感じで、体を何枚かのおしぼりで拭いてくれて、点滴もポイ、ストッキングもポイ、とどんどん外していってくれる。そうなるとこちらはもう身軽なもんで、自分で着替えて靴履いて、帰りの準備万端。でもここで「三角巾はしときましょうね〜」と言われたから、やっぱりせなあかんのか、怪我人は怪我人なのね、と自覚し直す。

最後に事務的な人が来て、一階で精算して帰ってね、とのこと。お世話になりました〜、と軽やかに病室を後にしました。精算でどうせ待たされるんだろ、と思ったらこれもすぐで拍子抜け、病院を出たらタクシーがすぐに捕まったので、なんと11時ごろには帰宅してましたよ。

ちょうど怪我したのが火曜日の11時半だった。1週間で手術までして自宅に戻ってるとは!やはり最初に自分で歩いてった近所の整形外科で聞いた、「大怪我じゃないですよ」は本当だったのかも知れぬ。大部屋は私含めて4人いて、他の人たちは、数週間とか1ヶ月とか入院してたみたいだし、もう1人はまた手術する、とか漏れ聞こえてた。奇しくもその手術がある人以外は一緒に退院したんだけどね。

今は自宅で寝転びながら、スマホでこの記事書いてます。痛み止めの薬を飲めば、とくに困ることはない…かな。まだ風呂に入れないし、運動とかはできないだろうけど、授業くらいはできるんじゃなかろうか。まぁ安全策を取って、しばらくはオンラインでやらせてもらおうと思うけどね。コロナのおかげでそんな選択肢ができたわけだな。人間万事塞翁が馬である。

入院中、スタッフの皆さんが気持ちよく、優しくしてくれたし、思い返してもあっという間だったのだけど、まぁもう入院するようなことはごめんだね。病気も怪我もやだな。これくらいで済んだのが不幸中の幸いだと思って、今後は決して自転車のスピードを出さないぞ、と思ってます。

以上、入院の記録でした。