学位論文

媒酌人のスピーチの中に「結婚するという話を聞いたとき、そんなことよりもまず学位論文を書けと思いました。その後、彼らの結婚に対する意気込みを感じて、媒酌人を引き受けました」という件があった。

その後も、学校関係者が多くいたせいもあって、あちこちから学位論文を書け、書け、という言葉が聞かれた。

しかし、本当にそれでいいのですか、先生方。
本当に、学位論文が出れば、それで、それだけでいいのですか。
学位を出すか、出さないかは先生方の肩に掛かっています。
その先生方が、「さぁだせ、早く出せ」でいいのですか。

学位論文を、学者のゴールにしないで欲しいのだ。
少なくとも、課程博士をゴールにするなと言いたい。
愚痴になるが、課程博士号なんて取ったところで、何も変わらないのだ。
能力がない人間に、無理矢理出したら、ちゃんと取った人間と大学が、結果的に損するだけだ。
学位論文を取ることは確かに必要だが、研究者としてちゃんとやっていくこと、独り立ちできることがより重要ではないか。まだつかまり立ちしただけの子どもを、面倒だからと小学校に入学させていいか?(例が悪いな)
ともかく、それさえ済めば後はお好きに、ってもんじゃねえだろもまいら

別に、学位を取ったらすぐに就職できるようにしろ、金をもらえるようにしろ、と言ってるわけではない。確かに、学位を出すか出さないかの際にいる人に聞かれた。「学位取って何か変わったか?」と。私はこう答えた。「何も変わらない。お金もないし、職もない。」
これは事実だ。しかし、私が取った学位とは、学問を(一通りではあるけど!)修めたという証なのだ。むしろお金にならないことが望ましい、名誉なのだ!

それを汚してくれるなと、心の中では泣きながら、笑顔で拍手をしてきた一日でした。