文化といふもの

今日は朝から、Dr.Baumeisterの講演を聴いてきた。というか、ウチの大学で開催してたので、準備係も含めて参加。
演題は「Human Nature and Culture:What is the Human Psyche Designed For?」。もちろん全編英語で喋りますよ。

なかなかパワーポイントの使い方を心得てらっしゃる。一スライドの文字数が少ないこと!書いても6行ぐらいで、基本的にフォントは大きく、スカスカなぐらいである。しかし、見ながら話を聞くときは、これぐらいがちょうど良い。

内容を聞きながら考えた。文化ってなんだろうかと。
M1の頃だったが、文化を「説明できない社会的なもの全て」と自分なりに定義して以来、文化という言葉が出てきたら頭を使わないようにしている。「それって文化ですね」で何にでも完全に答えられるから。
文化論の怪しいところは、脳の仕組みなど生理的基盤を有するであろう話(言語など)と、制度・ルールなどの流行、風習、慣習に関する話、どちらも「文化」の一言に含めてしまっているところだ。

Dr.Baumeisterは文化を、An information-based systemと定義する。それは認めたとしよう。
しかし、これは二種、あるいは三種の全く性質の異なるものに分類できる。
まず、「料理法」、「信仰」、「流行」、「猿の芋荒い」など、個人の好みやその時々の係留に依存する非論理的な部分。次に、「言語」や「分業」など、全体的効率化を求めるために個々人を抑制する論理的な部分。

第二の論理的なものは、個々人の相互作用パターンからボトムアップ的に構成され、十分に発達している複数の「論理的パターン」は互換可能。

第一の「非論理的パターン」は如何に発達しても互換性はない。いくら料理になっていても、台湾の臭豆腐は食べられない。

学問としては、第一のものを扱う必要はない。
第二のものは、検討する必要がある。その発生因、パターン等々である。

第三のものがあるとすれば、そう、集団様・・・。
よくわからん。

しかし、外国語の講演は、一旦聞き逃すとまさに外国語。意識しないと理解できないので、自分のない源が始まるとほとんど意味不明。寝る前の子守歌なんかにいいんじゃないかな。いや、今日の講演で寝ていたわけではないが。