聖徳太子はいた

 5月13日付けの日記にある、谷沢永一著「聖徳太子はいなかった」新潮新書 のお話。

 登校途中に読んでいる雑誌に、この本をトンデモ本のうえのランクである、アキレタ本であると言い切っている記事があった。
 前回この本を読んだときに、読者に対して不親切な本だ、という感想を書いたが、それはどうやら理論の怪しさを覆い隠そうとしていたからだったようだ。

 私は歴史の専門家ではないので、タイトルを見て面白そうだと思い、文中に「聖徳太子がいなかったというのは、今や学会の常識」とあったら、そうなのか、と思っていた。(妖しいなぁと思いつつね。だいたい「常識」という言葉は論理を超越するために使われるものだ。)科学者としての目で見れば、論拠を示せ!と迫りたくなるが、娯楽で読んでいる本なのでまぁそうなのか、ぐらいに受け止めていた。

 今日読んだ記事は、これまた専門家的視点から反駁しているので、突き詰めたところどっちがどうなのか、はわからない。突き詰める気がないから。それでも、谷沢某の書く文章よりも、論拠がはっきりしているような印象を得たので、こっちのほうが正しいのだろうと思う。

 私も専門家の端くれだから、いつもこのジレンマで悩むのだ。
 非専門家に、日常用語で話そうとすると語弊が多く含まれてしまう。しかし、専門用語を使い、キッチリ論理立てて喋ると今度は煙たがられる。

 今日は大学で、授業に対するアンケートを実施するよう、事務から頼まれていた。もちろん無記名式でやるものだ。流行のFDですね。
 で、演習の時間に気さくな感じで学生に話しかけてみた。俺の授業はどうか、と。
 答え。「難しくって、わからない」。

 さて、学生にウケるように話を変えたものだろうか。やっぱり大学なのだから、専門性を欠かない方がいいのだろうか。
 後期も悩まされそうだなぁ。

 アシモフファウンデーション三部作も読み直し終わり。やっぱ面白いわ。
 これを読んで、心理学をやろうと思った人がいるという話を聞いた。しかし、学会を見渡しても、そんな人見かけませんな(笑)。

 この話の中に出てくる心理学は、高度な数学を使い、かつ統計的な分析をし、しかも予測までする科学だ。名付けて歴史心理学(サイコヒストリー)。
 この小説が書かれたのが太平洋戦争の頃だったというから・・・社会心理学が一番面白かった時代だ。そう思うと、あるべき心理学の、ひとつの形なんだろうな。
 ちなみに作者のアシモフ、専門は化学。熱力学のイメージで社会を捉えるイメージで、歴史心理学を小説の中に登場させたそうだ。さすがだね。

 今日テレビにCKBが出ていた。出世したものだ。

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