料理にたとえる

最近,研究指導に当たって,料理をたとえに出すことが多い。

研究レベルについての説明では,以下のように言う。

学部生はまず,材料とか調理法のイロハを教える。目標である卒論は,おいしい家庭料理。
うちのカリキュラムでは卒論の前にミニ卒論(プレ卒論)を書かせるが,それは飯ごう炊さんのレベル。材料を集めて,何とか食べられたら良し。味は問わない。
修論のレベルは,商品として振る舞えるレベルの料理が目標。おいしいこととお金を取れること=意義があること,が目標。

研究プロセスについての説明でも結構つかえるメタファーなのだ。
前回のエントリー,心理尺度集は何が悪いかというと,「お肉 100gあたり30円」というものがスーパーで売っている,という感じだから。

先日,院生が「心理尺度集を見たら該当する物がいっぱいありすぎて困った」といって相談に来たので,「よかった」と言った。皮肉でもなんでもない。
心理尺度集をつかって論文を書くというのは,いわばカレーを作ろうと思ってスーパーに行ってやすいお肉を買ってきた,というものだ。その「お肉」も,牛なのか豚なのか鶏なのかによってできあがる物が違うわけで。まだ何カレーか決まってないのに,まずスーパーに行くなよ,と。そこで「お肉って,こんなに種類があるんだ」と思って手が止まったのは良いことですよ。

もちろんカレーですらなく,「なんかおいしいもんをつくろう」という段階でスーパーに行くのは,言語道断。家庭料理でも何を作る科ぐらいは決める。修論なら,お品書きが決まって,大体どれぐらいの値段がつきそうかということも把握しておかないと行けない。

逆に,材料とか調理法にこだわりすぎて,手が動かないこともある。なんかすごい料理を作ってやるぜ!と色々考えて,その中でこれは食材が駄目だ,これは調理法が駄目だ,これは思ってた味と違いそうだ,と悩みすぎて一品も出来ない,というやつ。締め切りギリギリになって,インスタントが出てきたら,それはそれでアウトでしょ(家庭料理なら許されるけど)。

そんな感じで指導しています。

余談)統計法を調理法にたとえたのは木下冨夫大先生が最初?

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