髪の毛について考える時間

学生に,今日は寝癖がついてますね,といわれたからそろそろ散髪に行こうと思った。

髪の毛のことが嫌いだ。髪型のことで悩むのは馬鹿らしいと思う。
髪の毛なんかいっそ無くなってしまえばよいと思う。頭を防御しているというが,頭に何か飛来物が当たって怪我をする,というときに髪の毛がそれほど防御の役目を果たすとは思えない。
髪の毛がない人にとって,これは暴言なんだろうと思う。無くなってみたら初めてわかるんだよ,といわれるかも知れない。でもそれはそもそも髪の毛が好きな人の意見だと思う。
俺は昔から嫌いなのだ。

もちろんこれは個人的な意見だ。嫌いな理由の一つ,不愉快になる理由の一つは,俺の髪の毛に対する評価以上に,社会の髪の毛に対する評価が高い(重い)ことなのだ。
何でみんなそんなに髪の毛,髪型,髪の色のことで思考できるのだ。
子どもの頃は寝癖がついていても気にせず登校していた。高学年になる頃か,母や周囲の人間が,もちょっとちゃんとしなさい,と寝癖は直すように教育し始めた。その頃からの違和感が未だにある。こんなもん,どうでもええやんけ。

じゃあ髪の毛を剃ればいいじゃないか,坊主にすればいいじゃないか,という人もいる。そうしたい。
でも,周囲の人間は,基本的に坊主が嫌いで,坊主にしたらしたできっとTPOにあってない,とか言われるのだ。

だから,いつも短めに刈り上げるにとどまっている。

人生において髪の毛について考える時間は極力短くしたい。

そんなことを考えながら散髪にいった。結局,こうしてブログを書いているということも髪の毛について取られた時間だ。あぁもったいない。