論文の書き方

冒頭にお断りしておくが、あくまでも「俺の」書き方です。一般的な論文の書き方じゃない。だからジャンルも「生活」にしてあります。

論文を書くことを生業にしているわけだけど、書き方が昔と比べて変わってきたように感じている。
たぶん、よくなっているんだと思うんだけど、こればっかりは自己評定だけじゃあなんとも。書いてる場所、テーマなんかも関係しているとは思うが。

初めて論文を書いたときは、書き方が構造化されていなかった、と思う。
ただただ、書きたいことを書きたい順に書いていき、書きあがったら推敲していく、というやり方。
今はちょっと違う。先に構造を考えるようになった。
心理学の論文は、問題、方法、結果、考察の四節からなることは決まっているが、その中でも問題の中でいうべきこと三つ、方法の中でいうべきこと(調査の場合、対象者、時間、項目)、考察は要点三つ、限界点三つ、展望三つ(ただし要点と限界点と展望の比率は6:3:1ぐらい)。これを先に箇条書きしておいて、肉付けしていくという方法である。考察については、要点のあとにちょっと話をふくらませるようなことを書く。これを考察といえば考察。浅はかな考えといえばそうかも。もう少し深めるためにはじっくり書くべきなんだろうけど、最近はまず書き上げてから考えるようにしている。

っていうか、このやり方に気づいたの遅すぎ?みんなもっと早く習得する技術かな?
書いていて、恥を晒しているような気分になってきたが、まぁそれも俺なので仕方ない。

続けます。

方法については、やはりこれは経験がものをいってるのだと思う。未だに分析するときに悩んだり、新しいことに手を出しては失敗したりを繰り返しているのだけど、やるだけやってもひとつのデータから言えることはひとつしかなくて、要はそれをどうやって表現するかの問題に過ぎない。少なくとも、この真理にやっとたどり着いたという感じ。昔は方法論を理解しているようでも、まだ未熟だったんだなぁ。っていうか、今後も「2010年の俺は甘いなぁ」というんだろうけど(そうありたい)、少なくとも昔よりは成長しているような気がする。

その理由の一つは、時間が与えられているからだと思う。あれこれうろうろやって、やり尽くす時間があるのだ。院生の頃は、それよりも先に出してしまわねば、業績にならないという焦りがあったので、それほど冒険心を満たしている暇はなかったのだが、今は業績についての心理的な圧迫は少ないので、たっぷり遊び倒してから書き始めるようになった。そうすると、結果のところとか、書くことはもう決まっているのね。ひとつの結果しかないので。

もちろん、これは生意気なセリフなのかもしれない。実際、奉職してから生産のペースは落ちているのです。でも、それを無駄だとは思わない。じっくりやれるのなら、じっくりやればいいと思っている。もちろんステップアップを考えなくはないが、今後飛躍するためにも、じっくりやりながらやる感じを体得しておきたい。

さて、問題はこれを教えることができるか、という点。例えば、学部生や院生も卒論・修論・投稿論文を書くわけだけど、これを指導する際にじっくりやれとか、あらゆる手法を学んでからやれ、という言い方はしにくい。締切の中でアウトプットが求められているわけだし、考察についても累積的読書量が違うので考えられるフィールドが狭いわけです。初めて書いたラブソングの歌詞が笑えるほど恥ずかしいのと同じで、でもそういう経験をしてからでないといいものができない。発達段階に合わせた論文の書き方指導って、結構難しいことなんだよなぁ。

さて、十年前の私や十年後の私は、今の論文を見てなんというだろうか。

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