絶対と相対

自尊心の定義についての議論がありまして。

絶対 = 主観的 = good enough(じゅうぶんによい)
相対 = 客観的 = very good(とてもよい)

この等式についての理解ができなくて困ったので、書いて考えを整理することにする。

私の言葉の使い方は次の通りであった。

主観的である、ということから始める。評価者(観察者)は自分自身(システムの内側)なので、外的な基準にもとづくことができない。ので、自分がしていることが「良い」かどうかがわからない。であれば、常に自分はベストを尽くしている、very goodであるとしか言えないのでは?

絶対的である、というのは主観的にどう考えていようと、評価者が外的に付与する絶対的基準でもって判断する、ということではないのか?

相対的である、というのは絶対的基準が存在しないので、個々人が主観的にvery goodというしかないのではないか?

自分で考えていても意味が多様に取れることなので、困ってしまうが、問題は「絶対」と「enough」の捉え方にあるようだ。
enoughは、他と比較して「十分」なので、相対的なものだ、と私は理解した。
絶対は、Newtonの絶対空間・絶対時間というのがあるように、個人の主観を超えたところに存在するから絶対なのだ、と考えた。

が、別の考え方として、

enoughは自分が満たされている=充分、なので主観的なもの
相対は、相対評価という言葉があるように、周りと比較したうえで定められることなので客観的なもの

とも考えられれよう。

しかし、周りと比較せずに決められることなどあるのだろうか?

他者から完全に孤立した主体的自己などあるのだろうか?

完全なる、絶対的、主体的、という言葉には限界があると思うのだ。

そしてこんなソシオン脳になってしまっている自分、はまりこむと抜け出せない愚鈍な自分をいつも恥ずかしく思うのだ。

コメントは受け付けていません。