二重に身悶えする

娘が習っているヤマハ音楽教室では,毎年JOCというコンサートをやるのだが,OはOriginalのOで,自作の曲をやるのである。
自作といっても,秋口に「モチーフ」を考えてきて,一小節ないぐらいの小さなメロディを,先生と二人で膨らませていく。

この指導の過程が,大学での研究指導に似ていて,とてももどかしいという話。

娘は今回,ハロウィンパーティーというテーマで「不思議な感じの曲にしたい」と言っていた。
最初に考えついていたメロディはもちろん彼女のものなんだけど,そこから先生が「いいねー,じゃあこんな感じはどう?こんな感じもいいよ?こんなのにしてみようか」とどんどん展開していってくれる。

そうして最終的に出来上がったのがこれ。(発表会の演奏)

でも,正直なところ,本人は途中から「なんかちがうな」と思っていたようで,ここまでトリッキーな感じのする曲にするつもりはなかった模様。なんか難しくなっていくし,練習で間違えたらしかられるし,でも自分の作った曲でしょ,といわれたらそうだしで,少し辛かったようです。

先生は先生で,この子の技量ならここまでのテクニックを入れられる,もっと曲としての質を高めていける,とちょっとずつ階段を上らせよう,というすごく教育的な配慮があって,それもよくわかる。熱心でいい先生なんですよ。でも,先生が熱心になればなるほど子どもはちょっと辛くなっていくという。

横で聞いている親としては,子どもの技術があがっていくし,出来上がりを聴くとちょっと驚くのです。こんなに弾けるようになったのか,と(親ばかですよ,ええ)。
ただ,その苦悩している間も「がんばろうね」とかいいながらモチベーションを出させるのに苦労するので,そこまでやらんでも,という気もする。別に音楽家にするつもり・なるつもりもなく,まあ教養として鍵盤ぐらい弾けますよ,が目標でしょうから。

聞くに,子どもにモチベーションを出させるためには,とても上手な演奏を見聞きして,私も僕もあんなふうになりたい,弾きたい!と強烈に思うと,嫌な基礎的練習でもできるのだそうです。なるほど,そうだろうね,と思います。

とまあ,こうした指導のあり方をみていると,親の視点+教師の視点,どっちの視点もわかるので,二重に身悶えするのです。
特にオリジナル曲を作ることにかんしては,研究指導のあり方にすごく似ている。

学生が研究のテーマを持ってくる。じゃあこんなのどう,こんなふうにできるよね,やってみたら。技術的にはこういうことをするとできるんだよ,意外と簡単だからやってごらん,それができたらこんなこともできるよ・・・・と,こちらとしてはどんどん先をみて誘導していく。常に学生の能力のちょっと上のレベルの課題を出しながら。
ただしそのとき,学生が「なんかちがう・・・」と感じ,モチベーションが維持できなくなってくると,教員の指導が空回りするわけです。
そういうとき,こちらとしては「あなたの研究(曲)なんだから,したいようにどうぞ」というつもりだし(事実そう伝える),計画が変わったというのであればいくらでも対応する。でもこの言い方が,逆に,学生を追いつめているんだなあ。

さらに。締め切りがある中で明らかなミスはなくさないとダメだから,それは厳格に対応する。
そうすると学生は正解を探しにくる。まあ学生の方からするとそうするしかない。
そうするとこちらからは学生の創造性がなくなったようにみえて,なんというか,萎える。
学生の所為にもしたい。でも自分が学生の能力をスポイルしてしまったのではないか,とも思う。
「すごい先生だ,この人のようになりたい!」と強烈に思わせることができていないのだ,と思うと研究者としての自尊心もなくなるわけです。
(あまつさえ,あの先生は女に甘いとか,好きなやつしか指導しない,などど揶揄されることもある。こっちはそんなつもりはもちろんないのに。)

そういう研究者,研究的教育者としてのビジョンも重ね合わさって,娘のレッスンをみるのが辛かった。

発表会が終わって晴れやかな顔になり,次はもっと前から準備して困らないようにしたいという娘のいじらしさ。いつものテキストにそったレッスンになってホッとした顔の愛おしさ。俺は娘はよくやった,と思いますよ。

そしてまた,研究的教育者としても,しっかりしないといけないなあと,気合いを入れるのであります。

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