セレモニー

叔母が亡くなった。前後の出来事のために、三日ほど家を空けた。

 金曜日の朝に「危篤だ」という連絡が実家から来た。1月の31日に入院し、危ない状態だと聞いてから、一ヶ月持ったので、今度もまた持ち直すのでは、と思ったが、母が急遽くにに帰るというので緊急度は増していたようだ。
 車で大阪に出かけ、母と妹を乗せて、一路徳島へ。

 徳島の病院では、見覚えのない老婆がゼイゼイ言っていた。あまりにも見違えたのである。聞けば、全力疾走しているような状態だそうだ。それが火曜日から続いたというから、頑張って生きようとしていたのだと思う。
 夕刻、親戚一同が揃ったところへ、医者が巡回に来た。そのタイミングで亡くなった。

 みんなを待っていたのだろう、という周囲の感想が、正しいのだろう。
 人間引き潮の時に逝き、満ち潮の時に生まれるという俗説はこのとき知った。まさに引き潮の時間だったそうだ。

 子供の頃の思い出しかない叔母であったが、最後の瞬間はさすがに涙がこみ上げてきた。
 これで最後、本当に最後だという絶望感はたまらない。

 妻や母、妹など、自分の身近な者達の、こういうシーンは見たくないと思っても、そうもいかないのが「死」というものであるという、絶対性も悲しみを引き起こす。

 先に実家に戻り、布団や写真などの準備をする。
 遺体が戻ってきてから、姉妹がお化粧をしてあげた。その顔や、写真の顔は、まさにあの叔母であった。

 葬儀屋が来て、準備するものなどの説明を受ける。小一時間も。
 母は気丈に聞いていたが、他の姉妹達は時折遺体に目を向けては涙する。

 この日はビジネスホテルを取って、そこで寝た。

 28日は通夜である。
 お供え物、お手伝いに来てくれる人へのお礼など、主に買い出し(外回り)の仕事を任される。

 養老院にいる祖母も来た。完全に痴呆なので、実の娘が死んでいるのにも何の感傷もない。しかし、これで良かったのかもしれぬ。わからなくても、お祖母さんも呼んであげようというのが、我々のわがままであったとしても。

 家族のない身だったので、通夜や葬式はお寺に全て預けてやってしまうことに。仏事の値段は理由がわからぬ。葬儀屋に計30万ほど払うのは、これは花のお金、これは衣装のお金・・・と理由があるからわかる。しかし戒名料が20万、高いのでもう少し安いのはないかというと5万のものがあるという。枕経も20万、まけてくれと言うと簡単に5万、10万と変わっていく。その価格の曖昧さは一体なんだ。まけてくれ、を連発していると最後は苦笑いしながら「お心だけで」という。最初からそう言えばいいのに。
 でも、値切り倒したせいか、お寺さんがその後ちゃんとやってくれているのかどうか、大変不安になる。半額にまけてもらったから、お経も半分しか読まないってことはないと思うが・・・。こういう邪推をしたくなかったら、全額払っておけということか。

 夜通し線香をつけておく係を兄に任せ、この日もホテルで休む。

 29日は葬式だった。
 田舎なので、近所の町内会の役員さんが、受付などの作業をしてくれる。
 ここ数日の疲れか、叔母の姉妹の具合が悪くなったりで、結局お葬式に列席した親族は5人ほどだった。兄貴が親族を代表して挨拶。こういうときはたのもしい。親族で若い男性は俺と兄貴しかいないので、棺を担ぐのも葬儀屋に手伝ってもらった。

 焼き場では焼き上がるまでの一時間、昔話を聞く。
 死んでしまえば骨だけだというが、まさにその通りで・・・人間の骨をあれほど間近に見、骨壺に箸でつまんで入れる経験も滅多に出来るものではない。このときのお箸、左右の長さが違うのはどういう意味なのだろうか。聞いておけば良かった。

 お骨を抱いて、お寺に戻り、初七日のお経もすませてしまう。親族が少ないので、焼香もあっという間だ。

 全てが終わって、ある親族が言った。色々あったが、終わってしまえばたった二日、あっという間だったと。たったこの二日間で、最後のセレモニーが全て終わってしまうのだ。

 母やほかの叔母はまだ残って、やるべきコトがあるそうなので、兄弟だけで帰ってきた。
 三日間で500kmのドライブである。

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