260万の新車

 目覚めたときに理解した。

 夢の中では、人物や状況が特定できないことがある。Aさんだと思っていたらBさんだったとか、中学時代の友人と話をしているシーンだと思ったら、次のシーンでは登場人物が変わって、実は大学時代の友人だった、とか。
 今朝目覚めるまで見ていた夢は、まさにそのように状況や人物の特定が出来にくい夢だった。見ているときはこの人!とわかっているんだけど、後で起きてから考えると、細部までよくわからなくて、Aくんだったかなぁ、Bくんだったかなぁ・・・等々。ともかく〜な夢を見た、ということは覚えているんだけど。

 そこでふと気づいた。人間は状況も他者も、イメージとしてしか知覚していないのではないか。夢の中で「〜くんの感じ」「〜な状況にいる感じ」という曖昧な印象を持つが、その印象だけが実は純粋に心理的な作用であって、覚醒時に外界をうまく把握している!と感じているのは外的記憶(環境)による係留がフォローしてくれているからではないか。
 Cモードは確実に存在する。Pモードだけでは世界を把握しきれない。

 そんな目覚めでした。

 今日は昼から後輩に統計の講義。
 標準得点のお話だけで2時間近く話し込んだ。休憩を挟んで後は、因子分析の基本式だけで1時間以上話し込んだ。後輩Hが十分にフォローできてなさそうなので、それだけが心配である。元々は彼のために始めた講義であるのに。しかし、「俺はおそらく、掛け算の概念が十分に理解できていないのだ」というHの結論はなかなか言い得て妙だと思う。人間、平均的にはそんなもんじゃないだろうか。
 ちなみにそのとき、因子分析のいい説明方法を思いついた。その辺も含めて、研究ノートを近々バージョンアップしよう。

 その後は自主院ゼミ。後輩Oのコメントが素晴らしい。別なコメントを私から付け加えたが、俺がこのゼミからいなくなっても、8割方大丈夫だな。

 
 さらにその後、遅れて梅田での飲み会に参加する。
 今年度のお疲れ会?学会賞ノミネート祝賀会?栄転祝賀会?いわれははっきりしなかったように思うが、久しぶりの面子でお酒を楽しむ。
 とある先生が260万の新車を買ったという話になった。おかしいのは、その車の選択基準が「車長と車幅」だというのだ。今乗っている車の車両感覚を大事にしたいらしい。それだけの理由でマツダ・アクセラ・スポーツタイプになるかぁ?という話題で持ちきり。運転してる感覚が良かったわよ、って、2300ccのクラスなら、そりゃかなりいい感じに乗れますよ。オプションとしてカーナビやカーステをつけたらしい。標準装備でない辺り、明らかに走り屋の車じゃないか?
 運転する人は、もちろん走り屋ではなくて、車の性能云々に五月蠅いひとでもない。むしろ、車のことがよくわからないから、新車で、勧められるがままに選んだのだと思うが・・・。
 ちなみにこの人、車の洗車やオイル交換、タイヤ交換はガソリンスタンドでするものだと思っていたそうな。オートバックスのことを知らない自動車オーナーがいたとは。

 ともかく、260万の新車をポーンと買えるような、職に就きたいという結論に至った飲み会でした。