御大

自分の中でまとまってないのだけど。書いて二度ほど消したのだけど、どうしても書かずにおれぬ。
心の中のもやもやが、私をテイカイに導いてくれています。

いくつかの徴候があって今のその「思うところ」に達しているのだけど、それは挙げるなら

  1. 広大GDでのWSにて、H御大の宣戦布告
  2. 広大GDでの別のWSにて、後輩S(というよりむしろK)の発表及びU先生のリプライ
  3. 乙コンにて学生W君の「相対主義でイイじゃないですか」発言
  4. C先生の献本、及び御礼のメールにあった「statisticalよりsubstantive」という言葉
  5. K名誉教授のお講義

などから構成されています。勿論根底にはF先生のシステム論があるのですが。

まぁ何か、というと、一世代前の先生(H御大やK名誉教授)の言うことはいちいちもっともなんですよ。目標は遠く高く実際的で理論的。「我々が命と見立てた心理学がこんなものであるはずがない」というテーゼ?は納得します。ただ(敢えて無礼を承知で言うが)、年齢のせいか、自説に固執し、応用性がなく、細部が曖昧で、建設的ではないお話があって。もちろん、お話を伺うときは「仰ることを全部吸収しよう」と思うのだけど、欲を言えば言葉の端々に食ってかかりたい。

とまれ、なべていうと昔の人は今の心理学を「そんなもんが心理学かいな」というわけです。
で、次の世代の人はそれを受けて、何とか学問になるような心理学を目指し、結局(いわば)小さくまとまってしまう。悪く言えば、悉くあっているのだけど大きく間違ってしまう、という罠に陥っている。

我々はそれもわかっている世代だから、初代の意志を継ぎ、第二世代の轍をふまず(見習えるところは見習います、もちろん)、自分達の答えを作っていかねばならない。

出来れば急かさないで!業績主義の世の中であることはわかるけど、業績主義がアカデミズムを殺してしまうのでは本末転倒だ、ということが前提で行きたいので。まだ答えは出せないんです、きっと。もっとじっくり取りかからないと、心の本質は見えてこない。

物理、生理、心理。定量、定位、定性。網羅的に考えつつ、出来るところを明らかにせよ。というK先生の講義は本当に大事だと思う。
「グループダイナミックスはそんなもんじゃない。失望した!」と言い切れるH先生は、間違ってはいない。でも「じゃあどうやるの」という問いにも答えなきゃ。答えるのはお前らの世代だ、というのはずるい。そりゃ年の違いはあるけど。
相対主義での限界は20年ぐらい前にきているんだよ。まだそんなことやってるのか、って笑われるぞ。
DSAが高度な数学的理論でもって、論を進めるのは正しい。しかし、我々はレヴィン同様、数学に恋いこがれる哲学者でもあるのだ*1。であればせめて、社会心理学者の責任でもって、正しく意義のあるデータをsubstantiveに(大量という意味もある!!)提供できるようにならねばならぬ。

コペルニクス的転回の前には、ティコ・ブラーエからケプラーに続く膨大なデータの蓄積、解析の段階があり、その後ガリレオ、ニュートンへと続いていくのである。心理学はまだその端緒についたばかりなのだ。
むしろ今は停滞するべき時期。たっぷり停滞し、低回し、アインシュタインの登場を待とうではないか。

ほーら、やっぱり酔いながら書くとまとまらないし。

*1:レヴィンを擁護するなら、彼の時代は数学が未発達で、彼のアイディアを具現化できるほどではなかったと言うことだ。今はできるか、と言われれば、「かなりできる。準備は整いつつある」という段階だろう。ただし、それは硬度に専門的な技術、たとえばNCや旋盤のレベルであって、まず原材料を鉱山から切り出してくるノミとツチが荒削りすぎるのだ。社会心理学会は詰まらぬノミとツチで公園の砂場をほっています。

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