自分の中でまとまってないのだけど。書いて二度ほど消したのだけど、どうしても書かずにおれぬ。
心の中のもやもやが、私をテイカイに導いてくれています。
いくつかの徴候があって今のその「思うところ」に達しているのだけど、それは挙げるなら
- 広大GDでのWSにて、H御大の宣戦布告
- 広大GDでの別のWSにて、後輩S(というよりむしろK)の発表及びU先生のリプライ
- 乙コンにて学生W君の「相対主義でイイじゃないですか」発言
- C先生の献本、及び御礼のメールにあった「statisticalよりsubstantive」という言葉
- K名誉教授のお講義
などから構成されています。勿論根底にはF先生のシステム論があるのですが。
まぁ何か、というと、一世代前の先生(H御大やK名誉教授)の言うことはいちいちもっともなんですよ。目標は遠く高く実際的で理論的。「我々が命と見立てた心理学がこんなものであるはずがない」というテーゼ?は納得します。ただ(敢えて無礼を承知で言うが)、年齢のせいか、自説に固執し、応用性がなく、細部が曖昧で、建設的ではないお話があって。もちろん、お話を伺うときは「仰ることを全部吸収しよう」と思うのだけど、欲を言えば言葉の端々に食ってかかりたい。
とまれ、なべていうと昔の人は今の心理学を「そんなもんが心理学かいな」というわけです。
で、次の世代の人はそれを受けて、何とか学問になるような心理学を目指し、結局(いわば)小さくまとまってしまう。悪く言えば、悉くあっているのだけど大きく間違ってしまう、という罠に陥っている。
我々はそれもわかっている世代だから、初代の意志を継ぎ、第二世代の轍をふまず(見習えるところは見習います、もちろん)、自分達の答えを作っていかねばならない。
出来れば急かさないで!業績主義の世の中であることはわかるけど、業績主義がアカデミズムを殺してしまうのでは本末転倒だ、ということが前提で行きたいので。まだ答えは出せないんです、きっと。もっとじっくり取りかからないと、心の本質は見えてこない。
物理、生理、心理。定量、定位、定性。網羅的に考えつつ、出来るところを明らかにせよ。というK先生の講義は本当に大事だと思う。
「グループダイナミックスはそんなもんじゃない。失望した!」と言い切れるH先生は、間違ってはいない。でも「じゃあどうやるの」という問いにも答えなきゃ。答えるのはお前らの世代だ、というのはずるい。そりゃ年の違いはあるけど。
相対主義での限界は20年ぐらい前にきているんだよ。まだそんなことやってるのか、って笑われるぞ。
DSAが高度な数学的理論でもって、論を進めるのは正しい。しかし、我々はレヴィン同様、数学に恋いこがれる哲学者でもあるのだ*1。であればせめて、社会心理学者の責任でもって、正しく意義のあるデータをsubstantiveに(大量という意味もある!!)提供できるようにならねばならぬ。
コペルニクス的転回の前には、ティコ・ブラーエからケプラーに続く膨大なデータの蓄積、解析の段階があり、その後ガリレオ、ニュートンへと続いていくのである。心理学はまだその端緒についたばかりなのだ。
むしろ今は停滞するべき時期。たっぷり停滞し、低回し、アインシュタインの登場を待とうではないか。
ほーら、やっぱり酔いながら書くとまとまらないし。