性格はどのような場合に変化するか

(承前)
 この本では上記のような事実があるにしても、青年期以降も、性格が変わることが全くないとしているわけではない。確かに性格が変わるケースも存在するといっている。これはあなたが待っていた言葉だろう。だが、この言葉は手放しでは喜べない。この本では性格に変化が起きる場合を次のように明確に定義している。「個人に危機が訪れた場合」と。

 鈴木乙史は性格変容の事例を6つに分類しているが、そのどれもが人を困惑させる。まず初めに、1)精神病による病的変容、そして2)薬物中毒や外傷による病的変容、3)特異体験による病的変容である。これらを不適応的変容だとしている。いくらあなたが「性格を変えたい」からといっても、この3つは避けるべきである。残る3つは適応的変容であるはずなのだけれども、こちらも負けず劣らず危険である。4)心理療法による変容、5)危機を克服することによる克服的変容、6)成熟的変容、これらを適応的変容に分類している。

 心理療法による治療とは、精神分析やカウンセリングを受けることにより、自己に対する否定的イメージを変革することをいう。また、危機を克服することによる変容というものの、代表的な例は宗教的回心(conversion)と呼ばれるものである。回心とは「それまで自分に対して、不幸であり間違っていて下等であると意識していた自己が、宗教的な実在者をしっかりとつかまえた結果、自分は正しくて優れていて幸福であると意識するようになる過程」を表す言葉である。しかし、精神分析や、宗教に頼らなければならなくなるというのはよほど危機的な状態であるし、それで性格が変わったとしても、別な方面に変わってしまう危険もある。この二つの性格変容は「死ぬよりはいい」という観点から見れば確かに適応的変容と言えるのかもしれないが、「社会的に認められるような」という観点から見れば明らかに不適応な変容である。

 辛抱強いあなたのことだからまだ希望は捨てていないだろう。そう、最後の六つ目、6)成熟的変容が残っているのだから。「成熟的変容」。この言葉こそ、あなたはずっと待っていたのだろう。今まで述べた性格変容は普通の人から見れば病的なものに映るだろう。誰もがそのような状況に耐えられるとは言えない。すでに指摘したように社会から疎外されるような性格の変容も起こしかねない。しかし、あなたが望んでいるのは「人に認められる」、また、「人に認められたと感じる」ように自分の性格を変えることだろう。

 「成熟的変容」。これはあなたの内部の成長と、他の人びととの関係の成熟が一致したときに起こる変容のことである。人は弱いものだから、何か外部の確固としたものに頼ろうとするものだ。その代表的なものが他人だろう。私たちはそれに「友人」だとか「恋人」という名前を付けるわけだ。だがあなたはそれだけでは駄目なんだということに気づいた。他者との関係の成熟には、自分自身の成長が不可欠だってことに気付いたんだ。だから「性格を変えよう」と思ったんだろう。

 「成熟的変容」。今のあなたにはこの言葉が輝いて見えるかもしれない。そう、あなたが現在の危機を克服するためには、性格を変えるためにはこれしか残されていない。この言葉のために、「性格心理」なんてものに興味を持ったんだろう。そしてそのために様々な勉強をすることも厭わなかったのだ。だからこそ、それだからこそ、私はあなたに心底同情するのだ。あなたは最後の希望をあの言葉に託し、ページをめくる。そこであなたは次の言葉を見つけるだろう。

 「成熟的変容に冠しては、今後の研究が待たれる」。

(了)

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