帰りの電車での出来事。
子ども四人が、大人四〜五人は座れるだろうシートでキャッキャと遊んでいる。
電車が段々混んで来ていて、座れる席を探していた私は、子ども達に「ちょいとどいてくれよ」と言おうかとも思っていたのだが、逆サイドに少し隙間があって、隣の人が詰めてくれたから、素直にそっちに座った。
すぐ後にわかったのだが、詰めてくれた人がその子の親なのです。逆隣の人と話をしているんだけど、お互いの二人ずつの子どもが、向かいのシートでキャッキャとやっとるわけだ。
次の駅に着くと、段々人が増えてくる。隣の親共はいろいろ話があるようで、子ども達を放置中。徐々に子ども達が迷惑になりつつあったのである。子ども達がもう少し詰めてあげれば、後一人座れるのに・・・といった感じ。もちろん子ども達は、「宇宙よりも大きいものはなんだ?」「レモン」というわけの分からぬ問答に熱中して、椅子に座ったり降りたり、叩いたり叩かれたりと忙しそう。
数駅進んで、片方の親が降りた。子ども二人を連れて。
当然だが、向かいのシートは大人が四〜五人座れるスペースに、子どもが二人。俺のとなりが空いて、ひとつ隣にその子の親がいるという構図。
普通そうなったら、親が子どもを呼ぶか、子どもの方に行くかして、暴れ回らないように、あるいは空間を無駄に使わないように、面倒見るべきだと思う。
そう、その親は動かないのである。反対側から「あんまり暴れちゃ駄目よー」と注意はするのだが、立ってる人たちは子どもに「どけ」とも言えず。社会工学的には、明らかに拙い状況デザインなのである。かといって俺が、「子どもをこっちに呼ぶか、お前があっちに行け」というのもおかしな話なのだ。
結局私が乗り換えで先に降りてしまったので、その後どうなったのかはわからない。
親としては、直接的な迷惑をかけていないので、特に行動に移さなかったんだろうな。
そこをもう一歩進んで、損は出ていないが、自分が動いた方がより全体的利益が得られる、というときは動くべきであるという奉仕の精神は出てこないもんだろうか。
「欲しい番号だったので、自分の紙幣と交換した」という日銀社員の方が、よっぽどカワイイと思うのです。