段取り力

テレビで「声に出して読みたい日本語」の著者、斎藤孝先生が「段取り力」について話していた。
社会に出て必要なのは、段取りを立てる力。学校では教えてくれないでしょう、というのだ。

確かに一理はあるのです。学生を指導しているとよくあるのが、「卒業したいので、卒論は書かないといけない。テーマは決まっているが・・・何をやったらいいのかわからない。」というヤツ。確かに段取りを考える力が欠けてきているんだろう。

しかし、基本的にアタマというのはそういうものではなかったか。

心理学では、知能を何と考えるかというと、問題解決能力であるという。
例えば、柵の向こうに餌があったとする。鳥などの知能レベルの低い動物は、餌に近づきたいけど、柵にぶつかって進めない。ウロウロして、諦める。犬や猿など、ある程度知能がつくと、柵は横から回り込めば回避できることに気づき、まんまと餌を手に入れる。こういうとき、鳥より犬や猿の方が知能があるという。
これは、要するに「向こうに行きたい、でも障害がある、それを解決するにはどうするか」ということを考えることである。

もちろん人間はもっと高等動物だから?問題の前に解決しなければならない別の問題がある、というときでも、順を追って解決していくことが出来る。少なくとも、そのプランを立てられるのが、頭のいい人間様のやることだ。

改めて「段取り力」などと命名し、今まであなたがアフォだったのは、段取り力がなかったからです!なんて言わなくても、単に頭が悪かったことの言い換えでしかない。

ま、改めて言わなければならないほど、頭を使えなくなってきている人が多いのだろう。