らしいですね。
谷沢永一著「聖徳太子はいなかった」新潮新書 を読破した。タイトルに惹かれたのである。へぇ、そうなの?と思って読んでみたら、これがまぁ悪い本!文章が他人をおちょくっているような書き方なのだ。
あんまり専門的になりすぎず、軽い気持ちで読んでもらいたい。そう思ったからだろうか、わざと軽く書いているのが、私には癪に障る。これを読んで「軽く書いていたので読みやすかったわ」と思う人がいるのだろうか?所々にだじゃれをいれたり、うんちくをいれたりして、本質が知りたい読者は長い修飾節にイライラさせられる。全編そのような感じかというと、そうではなくて、「こんな簡単なことぐらい、これこれの文献に書いてあるよ」とある。その文献を読むのが素人には大変だから、新書を読もうとしているんじゃないか!!
ほとんど最後の章に、「要するに」といったかたちで、本の全体をまとめている。そこだけを立ち読みすれば、本質がわかるようになっていた。だまされたようなもんだ。
真にわかりやすい文章で書く、というのは本当に難しいことだと思わされる。
今日もゼミで、私の文章力のなさを指摘された。先生のご指摘には頭が下がるばかりである。全くその通りなのだ。私は難しいことを簡単に表現する能力が低いようだ。簡単に表現することで、間違いがあってはいけないと思うので、極力もとの形をとどめておこうとする。それでいて、言いたいことがあるもんだから、気持ちだけ前に行っていて、文章が硬いままだ。自分では自分の文章が「カルピスの原液」みたいなものだと思っている。薄めて飲むときっとオイシイのですよ?
今後も執筆人生が続くのだから、もっともっと訓練しないとなぁ。
根本的には、理解がきちんとできているかどうかということだとも思う。
そういう意味では、私は自分の本当に知りたいことが、まだ理解できていないのだとも。
ところで、断酒が10日ほど続いていますが、後一週間で終わりになりそうです。
お酒を飲まないことによって、初めての経験がいろいろできている。飲まない人間がいることを気にする人がいることも知ったし、焼肉の時にご飯を食べるとこんなに美味しいのか!ということも。
そろそろお酒とのイイおつきあいをするための方法を、前向きに考えていこうと思う。