いでじゅう!

 昼頃のそのそ起き出して、漫画喫茶に行ってきた。

 本当はアサイチで起きて、お弁当と朝食を作って妻を送り出したのだが、寝たりなかったので昼まで寝直したのだ。正午に起きてもまだしんどかったので、これは体を動かさねばならぬ、と家を出ることを決意。
 本屋を目指して20分ほど歩いたのだが、漫画喫茶が出てきたのでそこに入ってみた。

 少年サンデーで連載されている「いでじゅう!」は、どこの漫画喫茶にも置いていなかったのだが、今日行ったところでやっと見つかって、全六巻を読破してきた。
 結論から言って、面白い。良くできているのである。

 私はギャグ漫画にはマイルールがあって、それに叶ったものしか読まない。

 第一に、シモネタを主にしないこと。全編シモネタで攻めた「南国アイスホッケー部」のような突き抜け方はある意味評価するが、決して認めるわけではない。「ついでに とんちんかん」が終わりがけに、陰部や臀部を大画面で露呈するだけの漫画に成り下がり、おもしろみがなくなったことは、同世代にはわかってもらえると思う。小林よしのりの描くギャグ漫画は、ギャグ漫画として認めないと断言できるほど、私には許せないのである。
 第二に、作者が内容に関与してこないこと。たまに「作者キャラ」が入り込んで、なかなか進まないストーリーを無理矢理進めることがあるが、これは漫画という仮想空間をプレゼントする前提を全く忘れた愚行である。前述の「ついでに・・・」も後半はほとんどそうであった。「究極超人あ〜る」も終わりかけの時に、この過ちを犯している。
 第三に、独創性。ギャグ漫画だけに限らず、「お笑い」には欠くことのできない要素なのだが、なかなか達成しがたいのも事実である。どこかで見たことあるな、と思わせた時点で笑えなくなる。これは、作者側にとっては大変辛いことだと思う。かなり広範囲にわたる知識、細かいところまで考え抜く力、それを画にする画力が求められるのである。まだやってるかどうかわからないが、バンチで連載していた「漢魂」は、この点に問題がある。どこかで読んだことがあるような、タダのだじゃれから派生しただけのような性質を持ち、画力が弱い。もっともこの漫画は、勢いで読ませることができるから、購入していた頃は目を通していた。しかし、間違えても単行本では買いません。そういう性質のものだからだ。
 後は明文化できないが、作者のセンスである。和田ラヂオは不条理漫画のやきなおしだ、と思わせるし、ジャンプで連載中でアニメ化までされた「ボボボーボ・ボーボボ」は不条理すぎて本筋が見えない。もちろんソレが不条理の真髄だ、といえるかもしれないが、私にとって笑いとは真なる世界と偽なる世界の境界を突いたものでなければならないのだ。完全に不条理・完全に無意味な世界は、逆に完全に面白味をなくす。「北斗の拳」が21世紀に入って、ギャグ漫画として読み直されていることを考えてみて欲しい。少女漫画になるが、「サディスティック19」はそういう意味で素晴らしい。

 さて、以上の条件を満たした漫画を探していると、なかなか全てに適合するものは見つからない。
 すでに述べたが、そういう意味で少年サンデーはなかなか魅力的な作品を載せる。「神聖モテモテ王国」はいまだにギャグ漫画界の最高峰であるし、今日読んだ「いでじゅう!」もなかなかいいところをついていると思う。少年漫画向きの、多少のエロとほのぼのさがあるのがよい。単行本を揃えようかな。

 夕食後に博士論文の「あとがき」を書く。謝辞は難しい。