朝、おなかが痛くてトイレにこもっていたら、妻のお見送りができませなんだ。非難の声を浴びた。ごめんて。
論文の査読結果が帰ってきた。一瞥して、熟読して、もう一度熟読して、さて・・・というところ。
今日は一日そんなことばかり考えていた。
とりあえず、反論に取りかかる前に、身辺を片づける。98円の卵を買いに行き、明日の授業の準備をし、やることがない、逃げ場のない状態になってから、もう一度論文に向かい直す。
引用している過去の論文を引っ張り出す。査読者の指摘がどうも私が省略した部分に集中しているようなのだ(構造定理とどういう関係なの?って二人とも指摘してきた。もっとも、三月のうちに大学の先生にも指摘されていたので、三人目の正直?)。その問題については、過去の研究者(Abelson&Rosenberg,Phillips)が解決していたハズ。と思って論文を読み直す。
やはり、解決されている。しかし、不安をなくすために、代数的演算を自分でも検算してみた。
ところがどっこい。検算結果が合わない。なんでだ。俺、わかってたはずなのに。いや、正確には細かく手を動かすことなく、「あ〜はん、そういうことね」とわかった振りをしていたのだ。現にこうして、計算が合わないではないか。
たった数行の英文を何度も読み直して、計算を繰り返す。久しぶりにノートに鉛筆で。消しゴムを多用しながら。
思い通りの結果が出たのは、夕食が終わった後だった。
だいたい、私はこういうことがおおい。わかった振りをしているだけ、になっていることが多いのだ。いつ聞かれてもバッチリ正しい答えが出せる、証明ができるというぐらい、たたき込んで置かねば・・・。
しかし、逆に言うと、ぼんやりわかったフリと言えば聞こえが悪いが、これが「イメージができる」と言い換えれば、私の数少ない長所なのだと思う。やったことがなくても、だいたい「あぁあの話と同じね」と思えるからこそ、ここまで(ぼんやりと!)生きてきたとも思うのだ。
徐々にこの脇の甘さを締めて行かねばならない。少なくとも、博士論文を書くに至っては、そんなこっちゃぁ駄目だ、きっと。