日常の始まり

 私にも意外とデリケートな側面があるものだ。

 今日から春学期のスタート。昼頃出勤の気楽な身分とはいえ、久しぶりに教壇に立つので多少の緊張感がある。
 いつもそうなのだが、これから今シーズン最初の講義だ、と思う日はいつもおなかの調子が悪い。汚い話で恐縮だが、精神的緊張から下痢気味になるのである。今日もそうだったので、それほど意識はしていなかったけど、無意識下ではやはり緊張していたんだな、と思う。

 今日から「心理学」と「社会心理学」の二つの講義がスタートした。いずれも今日は第一回目で、この半期間、どのように授業を進めるかとか、評価方法はこんな感じにします、という紹介だけにしておいた。学生の方も、今日の私の話を聞いて、本当にこの授業を取るかどうかを考え直すことが出来るのだ。
 いずれの授業でも、第一に強調したのが「考えてくれ」ということ。授業にはでなくても良いし、心理学の用語を丸暗記しろなんて絶対言わないから、自分の頭で考えてください、考えたことを試験に書いてくれれば大丈夫です、と言った。それでもどれほど伝わったのか、不安ではある。こう聞くと「あ、楽勝の授業なのね」とおもって考えるのをやめてしまう学生がいるから不思議なものだ。考えてくれという言葉を聞いて、考えるのをやめるのだから。ま、私の言い方に問題があるのは重々承知の上なんだけども。

 やはり開幕戦というのはカンが戻ってない感じがする。二時間目の方が雄弁に喋ることが出来た。
 しかしそれでも、二コマ終わらせるとそれなりに講師として実感がわいてくるのである。そうそう、こんな感じで喋ったな、授業を運営したよな、という感覚が。それまでは日常に戻るのが嫌だなぁ、もっと春休みでいたいなぁと思っていたけど、多少頑張ろうかという気にもなってきた。

 話はがらりと変わるが、少し時事ネタを。
 今回のアメリカの戦争目的ってなんだったんだろう。もう忘れかけている。
 最初、国連には「大量破壊兵器の排除」みたいなことを言っていて、それが受け入れられないから、勝手に「武力による武装解除」って言い出して戦争を始めたんだよな、確か。
 最近の報道を見ていると「フセイン政権後の政府をどうするか」という話になってきているという。

 どう考えても、不当な内政干渉なのだ。もちろん見え見えではあったけれども、明らかに自分の思い通りにならないフセイン政権が邪魔だっただけなのである。あの辺の油田をアメリカ資本にし、向アメリカ的な政府を置く。ついでに溜まった軍事的物資を適当に裁いて、軍需産業に需要を与えられるから、一石二鳥じゃーん、という論理だろう。
 ニュースが連続的に届きすぎて、その時々の流れとしては確かに合理的であるかのように思えるのですが、そもそもの大儀がなさ過ぎるぞ、アメリカ!
 あの国は、なんとかっこうわるいのだろう。誰か教えてやれ。

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