本学はこの春から,共通教育(いわゆる教養,パンキョー)が大きく変わった。
この新しい共通教育制度は,学生をクラス編制し,クォーター制にすることが特徴。
考えられる長所としては,
- 共通教育において統一的な内容を伝えることができる
- 受講者数を均一化することで,生徒数が少ないクラスを担当する教員を減らすことで(主に非常勤講師の)人件費削減
- クラス編制により,高校の延長のような感覚で修学できるので学生が友人を作りやすいなど,大学生かつ満足度の上昇が見込める,
ということがあったのだろうと考えている(大きく外してはいないはず)。
大学執行部のウェイト的には,二番目が最大の理由じゃないかと邪推はしているが。
さて,長所があれば短所があります。短所について列記すると
- 学生から選択の自由を奪い,自主性が育つ機会を剥奪した
- 授業開設期間が半減し,教育の質と量が半分以下になった
- 大学生から「孤独であること」の自由さを奪い,中等教育で生じるいじめなどの問題を高等教育にも導入した
というものが考えられます。
なんでこんな問題を生むような改革をしたのか,と考えると,おそらくいずれも高等教育に対する見識の違いなんだよね。
実は利点の1.は,同じ科目名をつけていれば同じ情報を与えたことになり,同じように成長するという,まるで学生を工業製品か農作物のように捉えて考えていることの現れ。2.は経済原理を研究・教育部門に持ち込むことがどのような弊害を生むか,ということについての無理解の現れ。3.は,高校までの中等教育,すなわち正しい答えに対して最適な解決技術を身につけるという考え方の押しつけであり,本来,現象に対する問いをたてる,ある答えが正しいか正しくないかを考える力を育むための高等教育機関が取るべき態度ではないと思うんだよな。
特に学校の中で起きているいじめなどの問題は,「正しい人間関係」を築くために「人間関係を作る技術」を育てる,その技術が身に付いていない人間は「そいつの努力不足である」(個人への帰属),という考え方がまずいんだと思うわけです。
私は大学に入って,自由であること,クリエイティブでいられることの喜びを満喫したので特にそう思うんだけど,正しい人間関係とは何かと考えるとか,努力で超えられないものがあるとか,だからといって個人の主体性は尊重され,排斥されることはない,という感覚を得られること,が大学のよいところだと信じるものです。
高校生だって,大学に行けば自由になれる!と思うから努力するのにさ。
大学でも中等教育するのなら,意味ないぜ。
と思うのだけど,はてさて,執行部は何を考えて実行し,このコストとメリットの比率をどのように見積もっているのかなあ。