PPS読書会に参加しました。
朝10時スタートの19時終わり、5分休憩を2回挟むだけのタフなミーティング。
でも疲れや時間を感じさせなかったなあ。とても楽しかったです。
もう一つの驚きは、遅刻や遅延のない勉強会ってのもやれば出来るんだね、ということ。学者なのにねえw
社会心理学、認知心理学において、再現性がないことについてみんなどうするよ、というテーマでしたが、皆さんの考えは「実験結果の再現可能性」特集号読書会 – Togetterを参照していただくこととして・・・。
パブリケーション・バイアスって、狭義には「有意差のある論文しか採択されない」ということだろうけど、広い意味では「支持的な概念的追試がさいようされがち」とか「綺麗すぎるデータは怪しまれるからちょっときたないのを入れておこうと筆者が思うこと」みたいなのも含まれるんだな、というのが新しい知見でした。もちろん、その背後には業績主義による就職事情というのがあるわけだけど。
もうひとつ考えていたのは、社会心理学は早く科学になりたいっていうけれど、科学も予測科学と説明科学があるわけで、説明科学と捉えている人にとっては、再現性の問題ってピンと来ないんだよな、ということ。現代社会を描写する、記述するというのも社会心理学の一つのお仕事なわけで(少なくとも私はそう思うわけで)、であれば再現しないことなんて当たり前でしかない。
じゃあガーゲンみたいに「心理学は歴史学だ!」といってしまっていいのか、という問題にはなるんだろうけど。
後夜祭で話したのだけど、科学コミュニティってもともとは同人、科学雑誌ってもともとは同人誌。同好の士の集まりだから、「お前データ捏造してるんじゃねえか」といった疑いの眼差しを持ち合うのは、趣旨に合わないんだよね。そういうことされたら「じゃあ俺は他の団体に行くよ、団体をたちあげるよ」といったことになるわけで(実際なっている)。
質を担保するために厳罰化、というのは馴染まないんじゃないかなと思うわけです。
追試が行われない、というのを嘆く気持ちもわかるけれども、そもそも自分の好きなことをしなさい、オリジナリティのあることをしなさいと教育したりされたりしてきた人が、科学コミュニティにはいっていきなり「オリジナリティもいいけど追試もね」とか「オリジナリティがないなら追試職人になりなさい」といわれてもなぁ、と。そもそも内発的に動機づけられてないから追試が行われていないからで、インセンティブをつけて外発的に動機づけるってのは限界があるよなーと思いました。
まあでも勉強になった。というか、もっと勉強せなアカンなあ、と思いましたよ。