iPS細胞の開発で山中先生がノーベル賞を受賞して,そのニュースのすぐ後で,森口某がiPS細胞を使った応用研究が成功したという読売新聞のニュース。で,これが誤報,事実無根ということで色々ニュースが飛び交っています。
森口某のこの研究,学会発表だったようだけど,これについて,ハーバード大学から承認した覚えがないという公式見解をだし,共著論文の共著者が全員「なんで共著者になってんの」というコメントをだして,いよいよどん詰まりみたいです。
この問題は,読売新聞が本人の身元確認とか事実確認をせずに報じた事が問題なんだけど,それ以前に大学業界人の考え方と一般人の理解の仕方にズレがあるんだよな。それがマズい気がする。
理解のズレについて,ちょっと想像しながら列記してみる。
<学会発表>
一般人=権威ある人々から構成される世界で,そこで話されることは,その学会構成員全体がお墨付きを与えた事実。
大学人=今やっている事の現状報告。速報ニュース的価値があって,真偽のほどは定かではない。学会は誰でも入れるものなので,玉石混合の世界。
<論文>
一般人=入試の「小論文」の延長のイメージ。専門性があるんだろうけど,まあ大学の先生の連載みたいなもんじゃないの。(もちろん査読無しと査読ありの区別なし)。
大学人=基本的には同人誌であり,査読されることにより文章内容,書式など一定の質は保証されている。しかし,その価値は読者自身が批判的に読みながら見定めなければならない。もっとも,投稿する側としては査読者とのやり取りが大変なので,査読無し論文よりはハードルが高い。学会発表の数倍苦労するし,数倍価値がある。
<大学の先生>
一般人=大学で教えているひとは皆「教授」で,人格者で,なんだか分からないけど立派ですごく役に立つ研究をしているもの。なんかずっと一所で研究していたら,認められてそこの教授になるんじゃないの。
大学人=非常勤,任期付等のステップアップをしながら,終身雇用権(テニュア)を得るもの。移動する事はその人が必要とされている事であり,むしろ望ましいこと。身分は助手,講師,准教授,教授と年齢・環境に応じて変わっていく。国内では旧帝大でテニュアが一番価値が高い。もっとも,ある程度年齢の関数でもあり,年取っているから教授になっているだけということもある。また文系では,大学人はただ社会に適応できない変人である可能性も高い。まったく何の役にも立たないけれども,ひとつの事をずっと考え続けていることが,いつかなにかの役に立つかもしれないから,社会が保護している。
今回は,山中先生が大学教員のなかでは飛び抜けて優秀で,しかも紳士だったので,アレこそ大学教授!というイメージがひろまってしまった。
森口某が人間的に弱いひとだったかもしれないし,共著者との関係性から人間的に問題がある人だったのかもしれない。でも,大学人の平均から考えたら,ああいう人は十分あり得る人物像,そこかしこにいてもおかしくない人なんです。
日本社会も,大学のそういう実態をもっと理解してもらって,その上でもっと支援してもらいたい。学問っていうのはそう言う価値のあるものだ,ということが,もっと浸透してもらいたい。そういうリテラシーをもっと広めていきたいと思うのだ。