やっぱ最近は資本主義よね。
言い換えれば、やっぱり金ですよ。というか、経済的価値観のウェイトがかなり高い。
経済性、効率性だけってのは面白くないな、と思っていても、知らず知らずのうちに自分の中に組み込まれている。
経済活動をするときは、もちろん安くてよい品というのがベストなんだけど、それでも「安さ」>「良さ」という関係になっているほどに資本主義ではないか。
商売はお金「だけ」の問題ではないとも思う。であれば、第二の次元は、少なくと俺は「人」かなぁと思うのです。
いい人が紹介してくれるものであれば、その信用分で、値段のことは二の次と考えるというか。
行きつけの日本酒のお店は、そこの人が好きなので、注文するときは「おすすめのお酒を何でももってきてください」というだけ。もちろん最初のうちから、それで外したことがないから安心して任せられるんだけど。で、そういう楽しく飲むときはお金のことは気にしない。ちょっと高くても、おいしいですよといわれたら、それぐらいの贅沢はしたいと思う。
ところで、今日は学祭にいったので、そこで食べ物を注文したのです。そこの店員?がまぁひどくて、およそ商売人と言えるもんではない。もちろん普段は学生で、サークルの仲良し同士で店を出しているんだから、仕方がないと言えば仕方が無いのだけど。
客をさばかない、客に背を向けて受付とダベる、受付の二人も内輪ネタでもりあがっていて、列にも並んでない学生の前でボソボソと「いかがですかー」という。厨房は注文が入ってから動くので待たされまくり。紙コップに入っているジュースが一杯100円。まぁイライラすることこの上ない訳です。
で、イライラして思ったのは「ちゃんと客として扱えよ」ということです。まぁ教員だしね、学生だしね、お遊びでやってるんだと思えば腹が立たないはずなんだけど、やっぱり経済取引のシーンになるとこちらの埋め込まれた資本主義が顔を出すわけで。ふと、「俺っていつの間にこんなに資本主義になってたのだ」と思わされた。
学祭の商売は、人の次元も商売の次元も駄目、なところ。
人もいいし商品もよいよね、というのSteve Jobsの生み出したApple商品かな。
で、人は良いけど商品は駄目(あるいは高い)と、人は悪くて商品が良い(あるいは安い)の比較をしたときに、後者が圧倒的に強くなってしまったのが現代なのだなぁと。ネットで最安値を検索してしまえば、顔の見えない人からものを買えるのだから。
江戸時代とか、流通がそこまで発達していないときは、圧倒的に逆だったはずなんだけどな。
消費者として、「お客様」の矜持として、あまり資本主義に没頭したくないと思う。
売り手にまわると、この物と人が交差するシーンに出くわすんだろうな、とおもうと、生まれて初めて「商学」というのに興味がわきました。