楽しいキャンパスライフを

国立大学に多い真面目な学生って,入学当初は大学の先生は全て教授でえらい人だと思っている。職階の種類を教えるのはもちろん,まずこちらとしては,「教授だから」えらいんじゃないんだよ(最先端を走っているから偉いんだよ)、と教えなければならない。権威が邪魔して、その子の研究心が育たなくなると困るから。
ここで間違った反応をして、教授はえらくない、と短絡的になると大学不適応におちいる可能性がある。何のために大学に行ってるのかわかんねー,となるから。

徐々に尊敬すべきところとそうでないところの違いがわかり、大学人は学問バカなんだ、というところに至ればよし。
カリキュラムも専門的になり始める頃で,それにあわせて勉強してみるか、となるか、卒業できればなんでもいーや、となるかでキャンパスライフは分岐する。もちろん,こちらとしては「研究を楽しむ」ことを身につけて欲しいわけで。

要領の良い子は適当に単位をとっていく。悪い子はくそまじめに授業にでまくるか、あとあとの積み残しを根性で取り返そうとするかだ。後者は体に染み付いた不健康なパターンも手伝って、落伍しがち。そして一度落伍して奈落の底に落ちると、帰って来れなくなりがち。

ちなみに、要領が悪いから必死に、真面目に、という子も実は評価されないのが大学。出席しているから単位をくれ、とか言われても、毎回出席しててこの理解度か!と言われるのがオチ。大学が求めるのは、頭を使うクリエイター。ただ真面目なだけなのはそこにいるだけの土塊,肉塊ですよ。最近の大学は、それでもそういう真面目な子に対してなんとかする、という方針があるから、卒業できなくはない。でも、真面目さだけが売りなやつは、大学院まで進んじゃダメ。大学もくるべきじゃなかったことに気づくべき。

くるな、というのは、我慢してまで自分と違う評価次元の世界でくるより、他の道を探したほうが幸せだよ、ということ。積極的に排除はしないけど(したらアカハラだ),でも指導してくれないって文句を言うのってどうなの。

自分の力量と大学の先生の力量、方針とを照らし合わせて、仕方ねぇなぁ、研究とやらをして卒業させてもらうか。となるのがもっとも標準的なコースだろうな。

もちろん,はじめから大学に遊びに来ているタイプの学生もいる。私立は一般にそういう人が多いんじゃないかな。四年間の、社会人前の最後の楽園を満喫することが狙い。遊びと割り切って、一銭の得にもならない学問に興じてみるもよし、単位を取るゲームを最も効率良く終わらせるもよし。研究もキャンパスライフも、わかったふりができれば良い。そこまででなくても、学問は学問、人生は人生。そう割り切っている学生は大学生活も楽しいだろう。そういう学生も嫌いじゃない。それも大学の一つの機能だと思う。

要するに、私は、大学生活を楽しんで欲しいのだ。そして、大学生活において研究者が学生に接する時に見せて欲しい態度は、頑張りや真面目さではなく、「その人自身が考えている」という姿。教員に対する姿ではなく、自分に向き合っている姿。自分とは何者であるか、という問いに、予断をもって割り切っていくもよし、探り探り落としどころを見つけていくもよし。いずれにせよ、考える姿こそ美しい。そしてそれを評価する場所が、大学。

大学での評価は、その人の努力や学力ではなく、その人が作り上げた個性的な価値観にこそ与えられるべきもの。出席していれば良いとか、課題ができれば良いとかいう問題ではない。もちろん課題や努力など、目に見えるものを介して評価するのだから、「課題を一つも出さなくても価値観磨いたぜ、単位くれ」といわれても困る。

価値観を磨けばそれがいやが上にも出てきちゃうはず。自己の価値観を磨ききれば,TOIECでも共通教育でも専門教育でも,どんな試験でもそのきらめきが行間からにじみ出てくるもんなのだ。これを私の愚かしい宗教だと言われたらそれまでだが。

試験最終日にだけふらりと現れて、めくるめく才能をひけらかして去っていく。そんな学生には単位をさしあげたい。胸を張って、本学の卒業生であると吹聴してもらいたい。

ただただ、定期的に人ごみに出て来て、苦痛な時間を過ごし、その代償に単位や卒業証書をくれ、という奴にはなんもあげたくない。考えるのは嫌だけど、ちゃんとネットで調べてレポート書いたでしょ、って奴が大学生活楽しんでるとは思えない。

一生懸命頑張ります。努力します。そういう学生はもちろん好き。でも、その先にアウトプットの評価があることを,理解してもらわないと。大学の教員に,「好き」と情緒的に評価されても仕方ないんですよ。そりゃむしろセクハラ的でアウトだろうw

評価は自分の中にあり,それを大学人に認めさせてやる。それぐらいの自己中心性が,若い学生には欲しい。それが許されるのは,若いから。若気の至りという言葉があるうちに,至っておけよ。

指示されたことをちゃんとやってるのに評価されない、と嘆く人は、自分の頭がちゃんと機能しているか省みるべきだ。頭を使って考えてなかったら、評価しないよ。考えたけどわからないから教えて下さい、というのは考えてない証拠だよ。
そもそも指示や許可が欲しい,というヤツは思考のアウトソーシングが行き渡りすぎていて,もうお話にならない。

そして,これら学生に対する愚痴のような物は,全て大学教員にそのまま跳ね返ってくる。
すなわち,学生が面白くなくなったのは,大学人が社会の全体的な雰囲気にながされて,自らの方針を考えることなく社会に迎合してしまったから。むしろ,それより適応がウマイ若い学生に,嫉妬しているだけなのだ。

私のレポート課題がカンニング?されたのは,私が面白くなかったからなのだ。

私自身,講義を,キャンパスライフを,楽しめるようにもっと必死に生きねばならぬ。