学生時代、大学の先生が、「君らは絵を見ても綺麗なーとか思うやろ!映画を見てすごいなー!とか思うやろ!っていうか、そうとしかおもわんやろ!本当に評価すると言うことは、きちんとどこがどう綺麗なのか、すごいのか、説明できるんや!説明した上でいうてるんや!ただボケーと思うのとはわけがちがうんやぞ!」と言っていた。
今になると、よくわかる。
大学の教員として、評価するときは、決して無意識でやっているわけではない(笑)無意図的でもない。
きちんと意図があって、良いものはよい、悪いものは悪いと言っている。
それは言語化できるのである。その言語が被評価者に通じるかどうかは別だが、少なくとも同業者には通じる論点で。
デザインのような、究極的には感性での判断に至るものであっても、究極までの道のりはしっかりと説明できるのである。というか、できないようなデザインは、評価の対象にはならない。ピカソは決して、テキトーに絵の具を塗ったわけではなく、しっかりと抽象画を描いたのだ。素人にはそれが言語化できないだけで。
その意識、価値観、言語能力を育てるために、専門教育というのがあるのだから。