Plan-Do-Check-Action。QCの考え方みたいだけど。
これをFDに応用しろよというありがたい講習をうけましたけどね・・・。
京大のフォーラムで「PDCAが適用できるのは産業場面であって、人間を育てるところにそのまま当てはまるか、バーカ」という話を聞いてきたので(で、もちろんこの発想の方がもっともだと思えるので)、どうもFD的思考にクエスチョン・マークがつくのだ。
読み書きそろばんのように、一次元的かつ客観的に測定できる能力があれば、測定ができるわけだから、PDCAもまわれば教育もできるのです。
が、例えば「心理学」のように多次元的に広がるものであれば、まず測定が難しくて、PDCAも回らなければ教育もできず、ましてやFDなぞ。
できるとすれば、心理学検定のように(!)心理学に関するキーワード、知識量を測定することぐらいか。しかし、本当に人間の理解をするときに必要なのは、知識だけじゃないのはいうまでもない。
認識論+方法論というベースに研究対象が加わって、はじめて一部の人間理解ができるのであり、そのためには低回(本当はどちらもぎょうにんべん)するしかないのだ*1。それは根本的に、個人の自発性と創造性に依拠するものであって、むしろ「測定できないこと」の方が重要なのだ。
知識を伝える授業というのも大事か、と思ってやってきたが、最近はその考えを改めているところであり、当分FDとは違う方向で行きます。
*1:先日のGDワークショップで知ったのだが、レヴィンも「低回しなきゃね」と言っていたのだってね。うーむ。