昨日の「行列のできる法律相談所」の話なんですが。
痴漢と間違われた場合、どうすればよいかという答えを四人の弁護士が答えたところ、二人が「裁判で無罪を証明する」で、残りの二人が「走って逃げる」だった。
理由はどちらも同じようなもので。走って逃げる派は、「やってない」コトを証明するのは非情に難しいし、裁判で争うとなったら時間もかかるし、その間に会社もクビになるだろう、そうであれば一か八か逃げた方が良い、という答えだった。実際に、弁護士としてこの相談を受けたら、「時間を賭けて戦うより、この示談金でまとめた方が経済的には得だ、と弁護士として言わざるを得ない」とまで言っていた。
同様に、「裁判で争え」という派は、「一か八かで失敗したら、さらに心証が悪くなって、灰色が真っ黒になる、逃げられなくなる」という答えだった。確かにそれもあるだろう。
しかし、結局、発想としては同じところにいると思う。
みなが挙げていたが、問題は、「現状保存ができないこと」、「無かったことを証明するのは難しい」ということ。
いきなり余談にはいるけど、後者の「無かったことを証明するのは難しい」というのは、科学論においてもそう。例えば、UFOが存在しないことを証明するのは難しいのである。UFOを信じる派はそれっぽい写真をどんどん持ってきて、これはどうだ、これはどうだと言ってくる。いちいちこれは違う、これは違うといっても良いのだけど、それはきりがない。実はUFOについては論議が逆転していて、UFO否定派が無いことを証明するより、「確実に宇宙人の乗り物であること」を証明する方が難しいのである。未確認の何かであることは認められるのだけど、それが知的生命体の成果であることを証明することに成功した人間はいない。つまり、なにかであること、一つの事実(の存在)を証明するのはとても難しいのである。統計の仮説検定が、帰無仮説の棄却でもって対立仮説の採用とすることと同じ構造がある。
このロジックは、他にも「前世の証明」とか、「神の存在」の証明と同じくらい面倒な話だ。存在しないのにみんながあると思っているのはやっぱり存在しているのだ、というカント的なひねくり返った話もできなくはないけど、一般人には通用するまい。
戦争犯罪にしてもそうだ。従軍慰安婦はなかったとか、南京大虐殺はなかった、ということを証明するのは非情に骨が折れる。なぜなら、対立仮説が「無かったとはいえない」とか、「強制でなかったとはいえない」という、比較的証明しやすい方の立場だからだ。「あったこと」を証明するのは難しいのであるが、「無かったとはいえない」というのは比較的たやすい。
心理学者が、この「たやすい」方法でもって議論を積み上げているのは弱点をさらしているとしか言いようがないし、それでないとロジック・仮説を積み上げられないというそもそもの不利益をわかった上で積み上げる美しさ、おもしろさがわかってこそ、真の求道者だといえるだろう。
話を本題に戻す。
痴漢も同じで、「無かったことを証明する」側にまわる時点で負けである。それなら「あったことを証明する」派を連れてこい、という方が楽である*1。ので、いっそ逃げよ、という答えも出てきてしまうのである。逃げて、後日どうしてもそいつが犯人であれば、犯人で「あること」を証明しなさい、ということに話が変わってくるからだ。犯人として同定された後、はんにんでなかったことを論じるのは不毛だし、そもそも不利なのである。スタート時点で。
で、まぁここまでの話を聞いていて、私は一番正しい回答を思いついた。
被害者に「あんたが犯人でしょ!」と言われたら、正しい反応は「いえ、私じゃありません」ではなくて、「いや、こいつです」と責任転嫁することなのだ!!
そうすると、責任転嫁されたヤツが本当に犯人だったかどうかにかかわらず、その人は「私ではない」ことを証明する必要に駆られるし、被害者Xも、たしかにAであってBではないという証明もしなければならなくなる。Bが別のヤツに「いや、こいつだよ?」と別のCを指させばもうけたもので、結局この連鎖が繋がれば、その場の関係者全員が駅員とか警察関係者に引き渡されるわけで、結局いろいろな側面から現状を再現できるし、証言も増えてくるだろう。なにより、Aが犯人ではない、ということを証明するより、BやCやDや…Xでなく、Aであるということまでわかって初めて、犯人がAであることを証明できるわけで、そもそものAかAであるとはいえないのか、という不毛な議論からは抜け出すことができるのである。
どうでしょう、この考え。かなり良い線を着いていると思いますが。
さぁ皆さんも、言われない痴漢の嫌疑をかけられたら、こう言いましょう。
「僕じゃないです。こいつです」と(笑)
*1:というか、普通の犯罪は検事が犯罪証明をするのであって、無かったことの証明をするのは痴漢という犯罪に限定されている。それがオカシイのだが。