お母さんのところに行く!という感情

妻ののど元に妙なデキモンがありまして。
先日はそれが膿んだようで、病院で膿を出してきはりました。
粉瘤(ふんりゅう)というやつみたいで、膿まなければ別になんの害もないらしい。でも、嫌なら脂分が溜まる袋を取る手術をしなければならないらしい。

ということで、今日がその手術の日でした。

3コマ目の授業を終わらせて、すぐに帰宅。
15時からの手術なので、その間、娘の子守です。

病院に一緒に行って、妻が診察室の方に呼ばれていったので、娘に「ジュースでも飲む?」と病院内を移動。ジュースを飲みながら、もといた方向=階段の上をチラチラ見やる娘。母のことが気になるようで、飲み終わったらすぐに階段を上り始めました。

診察室の前のベンチで「ここで待とう」と言ったけど娘は「いやい。おかあはんのところ、行くやろ?」という。抱き上げたり、本を読もうと言ったりしても、気がこちらにないのがよくわかる。

しっかり抱いて、「待とっこね」と言い聞かせたが、反抗するし、心持ち目が潤んでいるみたいである。

母親が、今、別室に行ってしまって、なんだかかわいそうなことをされているので、一緒にいたい、という気持ちのようである。
そしてそれは、いつも遊んでくれるお父はんがそばにいるから、解消される(あるいは補填される)というものではなく、お母はんそのものでないと満たされないようである。

長らく忘れていたが、そういえば、子供の頃のこういう不安な気持ちって、あるよな、と思い出した。
同時に、ウチの娘もそういう感情が芽生える歳になったのだな、とプチ感動。
おそらく、もう「快−不快」だけでもなく、それが分化しただけの「たのしい、うれしい、すき、きらい、いやい」という感情でもなく、誰かにかまって欲しいという全方位的感情でもなく、はっきりと特定他者の固有性を認めた上での情緒的反応ができるようになってきているわけです。

愛らしいな、と思いました。

ところで、二人で診察室の方をじっと見ながら待っていたのですが、しばらくすると後ろの別室=手術室があった方向から妻が帰ってきたので、娘は「おかあはん!しかしなぜ後ろから?」という顔をしておりました。その「?!」という一瞬の表情にも、愛らしさを感じました。

まるで余談だけど、夜寝るときにパジャマの上に着せるスリーパー(足下まである厚手の上着)が、まだ少し大きいみたい。で、歩くとき、もものあたりを少したくし上げて歩く。そう、ドレスのように。
そういう仕草一つ一つが、女の子だなぁとしみじみ感じ入る。