やはり夜の方が筆が進む。
妻が体調を崩しているので、昨日は妻と娘が21時ぐらいに寝た。一人になった/なれたので、やや夜型になっている私は、コーヒーを飲みながら論文データベース作業にとりかかる。単調作業なので、横目でテレビを見ながらだが、2時間ぐらいでコンプリート。
続いて深夜1時頃から3時頃までテキストを書き続ける。頑張って3単位分書いた。まだ書きたかったが、流石に夜中過ぎるだろう、と筆を止める。
考えるに、夜の方が静かであるということ=集中できるということ以外にも、夜の方が筆が進む理由がありそうだ。
うまく言えないが、おそらくそれは背徳感の一種である。
夜起きている、ということはそれだけで何かやましいことをしているようであり、格好いいことをしているようである。少なくとも私にはそう思える。また、勉強なんかをするときは、「俺、昨日夜中の三時まで頑張っちゃったぜ」とか言えるので、汗水垂らした感じが出ていいのだろう。実際それに意味がないことは、自分自身が一番よくわかっているのだが。
中学生ぐらいになった頃、定期試験前に夜中まで起きている、というスタイルが始まった。私の仕事のやり方は当時からノルマ制で、その日にやるある一定の課題量Xを決める。しかし、やりたくないので、ついつい漫画を読んだりテレビを見たりしてしまう。まずはそれでも構わない、というのが俺流。つまり、やりたいことをやるだけやって、他にやることがない諦め状態に追い込む。それに自らに課した課題をせねばならぬという責任感(自律心とでもいうべきか)が加わって、やっとこさ机に向かうという方法である。そうすると、当然夜中になっていて、眠たくもあるので、早くやっつけたい。集中力も上がるし、幸い夜中は一人である。例の背徳感と共に、気分がハイになりながら作業が進むのである。
当然このやり方をすると、日中眠い。中学時代の定期試験期間は、午前中だけで終わったりするので、昼から夕方まで寝て、夜への時間を準備しておく。このときも、眠たくなったら寝たらいいじゃないか、やることはやるんだから、という考え方である。
結局そのスタイルが未だに続いている。卒論、修論のときもそうだった。卒論の時なんかは、毎晩ファミレスで校正したものだ。博論の時は数ヶ月がかりのプロジェクトだったので、むしろ規則正しい生活の中でやった感じがしたけれども。
この夜型スタイルは、私が文筆の師と仰ぎ、敬愛している故・星新一氏もそうであったと聞く。氏も夜型で、お昼頃に起き、夜になるとウィスキーを飲みながら「アイデアがでないでない」と一人もんどり打っていたそうだ。そういう話を知っていたから、夜にあこがれているのかも。
夜型ではあるが、朝起きて娘を保育所まで送り、帰宅して昼まで寝直す。
続いて妻を職場に送り出し、お昼から夕飯の仕込みをして、さて寝るかな?仕事するかな?と考えた。
午前、午後、夕方、深夜の四つの仕事時間帯のうち、使えるのは三つで、後のひとつはお昼寝タイムである。短かったとはいえ、午前の時間をそれに当てたので、まぁやるか、と校正作業に入った。
これは昨夜書いていた執筆原稿とは別のものである。例によって例のごとく、初稿で目を通しているのにもかかわらず、意外と重大なミスがある。また、今回も複数の著者による本だから、書き手のスタイルが自分に合ったり合わなかったりする。最初は「個人差さ」と思い、違和感をそのままに読んでいたが、途中でどうにも我慢ならなくなり、思い切って赤を入れ始めた。こうなってくると止まらない、そこかしこに赤を入れてしまう。あちこちに問題点があるような気がしてしまう。気になって気になって・・・。
こういう状態になると、テキスト型の夢を見てしまうので、要注意。まぁでも、後世に残っちゃうかもしれないものなんだから、全力を尽くしておきたいわな。やるだけやってから、判断はボスに任せよう。