丸坊主にしてみました。
昔から髪の毛や髪型について考えるのが嫌いで、髪の毛なんかなければ良いのにと思っていたのですが、なかなかやる機会がなくて。このまま不惑を迎えるのはやだなぁと、最後に惑ってみることに。
でもまぁ、少し勇気がいることではありました。なんででしょうね、自分でも合理的に説明できないのですが、床屋で「坊主にして」というのはやや抵抗感がある。変なの。
さて、やってみて(なってみて)思ったことがいろいろあるのです。
結論はまぁ、ここまでするこたぁなかったな、です。後悔先に立たずというやつな。やってみないとわからないこともありますが、わざわざやらなくても分かることも十分あるもの。経験原理主義はいかんねw
逆接的だけど、言葉で言うことと、実際のイメージとの間には常に乖離がある、ということがよくわかった。自分では坊主にしたい、と思い続けてきたけど、しっかりと、映像的に、イメージしきれていなかった。理論と実践、近いようで遠い。やってみて初めて分かることも、勿論あるわけです。こうなった以上、できるだけいろんな経験を取り込もうと思うのです。
興味深い点の一つ。子供達はほぼ完璧に驚かない。スルーしちゃう。外見に興味がないのか、顔しか認識してないのか。子供の可能性を感じる瞬間でした。
しかしまぁ、大人は違和感をすごく覚えるわけで、自分も鏡に映る姿に「うわぁ」ってなります。慣れるしかないんだろうけど。妻にも「慣れてね」と言ったけどしばらくして「やっぱ慣れんわ」と言われちゃったw 髪が伸びるまでは、嫌われないように、なるべく妻の視界に入らないようにしないと(´Д` )
早速テレビでアイドルが、何かの失敗を受けて、「あ、坊主にしてきます」というセリフを言うのにも出くわしました。ダウンタウンの松本さんも言ってたけど、何故これが罰なのか、自主的にしてる人とかに対して失礼だ、という事を言ってたけど、実感できたなぁw
自分にとって、機能的にはこのスタイルがとても良く、評価してるのです。頭をつるりと撫でる、ということがしたかったので、大変よろしい。自分の視界には大きな変化がないわけで、機能的であれば自分には十分。つまり髪型というのは非合理的で社会的なものなのですな。差別意識に関する社会的な実験としても、価値はあったと思います。
お見苦しいものをお見せしております。皆様しばしご辛抱を。