東京の罹患者数がのべ10000人を超え,日に3桁の発症者が出るも,1日に200人をこえて400人,800人,と倍々ゲームで増えていかないところを見ると,そこそこコントロールできているのか?と思ったり。
テレビでは毎日「まだまだ気を緩めるな」「三連休の気の緩みが今出てる」「人数が爆発しないのはそもそもそんなに検査してないからだ」という言説が飛び交う。そうなのかもしれない。しかしこの一週間ほどは,毎日見ていたニュースも見なくなった。同じことを言っているので飽きた,といったら語弊があろうが,辟易したというか,聞いてても良い話が転がってこないので辛くなってきた,というのもある。時にはニュースを遮断するのも,QOLのためにはいいだろう。
日常は,とにかくリズムを作ろうと,朝,昼,夜のご飯の時間を定め,平日の朝は9時から子供の勉強を見ている。が,子供もだんだん慣れてきたのか,俺に?辟易してきたのか,すぐに集中力が続かなくなる。俺も甘いので(あるいはそこで叱って家の中の空気が悪くなるのを避けたいので。というのは言い訳か),とりあえず最低限やったらOKを出すことにしている。短い時は30分ぐらいで勉強時間は終わってしまう。そのあとは在宅ワーク時間だが,飛び交うメールの量が増えるし,なんせずっとPCに向かいっぱなしだ,しんどい。
テレビ会議(死後?)にも慣れてきた。注意力を保つのが思ったよりしんどいこと,ついつい時間が伸びてしまいがちになることなど,特有の問題もわかって付き合い方に慣れてはきた。が,決して気分の良いものでもない。オンライン授業の準備も,やっと手についた。メインの講義のやり方が,どうにもイメージができずに手が止まり続けていたのだが,自分の中でいくつかのルール・授業の作り方を決めたので,ちょっとずつなら作業ができるという感じ。でもこれもやっぱり,ライブ感がないとしんどいだろうな,と思う。俺も,受講生もね。
今日は思い切って,職場に忍び込み(出勤しただけ。それは禁止されてない。),iMacを持って帰ってきた。今まで家では多少非力なMac miniで環境を作っていたのだが,研究室の母艦がスペックがいいのにずっと置物になってるのが気になっていた。時々リモートデスクトップでつなげていたが,それも先日から繋がらなくなってしまってて,どうにもならなくなったのだ。ということで,今配線などをやり変えて,そのiMacから書いてます。せっかくこの部屋に合うようにいろいろ配置してきたのに,環境の再編成ですわ。
もちろんこの判断に至ったのは,少なくとも半年は自宅で授業の準備をしたり,授業そのものをしたり,という時間が長くなるだろうと思ったから。さて5月の6日に緊急事態宣言から開放されても,前期はオンライン授業で確定しているわけだし,作業する時間の長さを考えると決断は早いほうがいい。これでも遅すぎたぐらいだ。でも,この状況っていつまで続くのだろう。
Twitterを見ていると,「そのうち,コロナの流行具合は全く変わってないけれど,人は街に出てこれまでのように仕事をするようになるだろう」という予想もある。なかなか妥当な,ありそうな予想だ。では両極端は?楽観の極地は来週にも終わる,というものだが,逆に悲観の極地はどうだろう。もし,この「自由に出歩かず,密を避けながら,危機感を持ちながら暮らす」が10年続いたら?
今日,日本心理学会大会が今年度web開催になると聞いた。ポスター発表はオンラインで見て回って,ポスターごとにチャットのような質疑応答ができるシステムもあるそうだ。基調講演やWSはオンラインで放送する感じ。なるほど,それはできそうだ。というか,それでよかったんじゃないか,今までも。地方の学生なんかにとっては,参加しやすいというメリットもある。本務校の仕事で学会に行けない,というのもなくなるだろう。でも,「地方の美味しいお酒を飲んで,わいわいするのがいいんだよ」といったら叱られそうだが,年に一度ぐらいしか会わない研究者仲間と,酒を飲んで近況を語り合い,そんな中で新しいアイデアがもらえることもいっぱいあった。それがなくなるんだな。じゃあ俺の研究はどうなるだろう。どんどん内向きになっていって,どうせ誰かが批判しても電源を切ったら終わりだとばかり,周りのことに耳をかさなくなって,どんどん隘路に入り込んで行って。そうなると山月記の虎になってしまうんじゃないだろうか。あるいは,大海を知らないまま,深い井戸の底で,いやあ俺はよくやったなぁ,なんて思って生きていくんじゃないだろうか。
ゾッとする。子供の頃からずっと恐れている,俺が最も避けたい状況なんだ,それ。
もちろんそこまでいくと,子供達も,国も,世界も,健全な状態ではなくなっていくような気がする。それともこの世界に順応する,新しい人たちが出てくるんだろうか,アシモフの「惑星ソラリス」の人たちのように。
俺は旧人類だから,一刻も早く平時に戻ってほしいなあと願うばかりである。