これがそもそもの発端を書いた記事。
https://kosugitti.net/archives/4609
あれから6年、いや、7年経ってしまった。
2014年の卒業生はなかなか思い出深い学生たちで(まぁ毎年一癖も二癖もある奴が入ってくるんだけど)、卒業旅行も特に楽しく濃い日々でした。
別れ際に在校生が、これで先輩方と会えないのは寂しいと涙するので、また会う日を決めたらいいじゃないか、と約束したのでした。
誰かの結婚式で、とかいった人為的なトリガーが面白くないなと思ったので、その頃話題だった「東京五輪の開会式の日に、またここで会いましょう」と約束しました。卒業旅行で行ったとき、タイミング悪く参拝できなかった場所、伊勢神宮の内宮です。6年も先だけど、必ず、必ず会いましょう、と約束を交わしました。
私が学生に「今はそんなに感動の涙しているけど、時間が経つと感動は薄れ、忘れ、強い思いも幻想だと気づくのだ」というと「この人でなしが」みたいな目で睨まれましたが、そう言った機微もわかった上で人と人とは巡り合い、愛し合い、別れるのです。もちろん感動している学生たちには届かず、約束を交わして解散しました。
私は「約束」というのは大切なものだと考えていて、言葉で約束を交わした以上、何がなんでも守らねばならぬと思ってます。なので学生たちにも、必ず集まるように、ゼミに対する思いが本当にあるのなら行動で証明するのだよ、と固く固く念を押しました。6年も先の話ですから、結婚式で行けませんとか、子供が生まれたのでいけませんとか言うなよ、と。予定が組めることなら、この約束のことを忘れるなよ、と。この約束を破るのは、親が危篤か本人の死くらいのことだぞと。
そしてせっかくやるのだから、かつての卒業生やこの後の卒業生にも声をかけよう、全ての小杉ゼミ生が約束の日に約束の地で、とその後は伝言、宣伝、拡散に努めてきました。
ところがまぁ、ご存知まさかのコロナ禍、五輪があるのかどうかも怪しくなって、とりあえず延期になって。まさか固定した日時のはずが確率変数になるとは。定義は「東京五輪の開会式の日」ですから、昨年は延期になりました。
さて今年。今年も怪しい、やるのか、やらんのか。コロナは広がってるし不確定要素も多い中、とりあえずやりそうだ?やりそうだ!となったので徐々に準備をしてきました。宿をとっても、最悪直前にキャンセルすればいいや、という気持ちもありつつ。組織委員会ですら、前日にやるかやらんかの会議をしたというから、なかなか不確定でしたなぁ。
さてどうしても本気でやるらしい、ということだったので、今日は朝から約束の地へ来ましたよ。集合する日と場所は決めてたけど、時間を決めてなかったので、とりあえずお昼頃に伊勢神宮へ。前の旅行で見れなかった内宮集合でしたから。
バスを降りると元教え子が待っててくれて、2人で何か食べるか、とおかげ横丁に行くと人混みの中でもう1人と合流。会えたねぇ。あえたねぇ。なんか、自然と合流できたのが奇跡的ですらあったなぁ。ふと振り返れば卒業生がいるんだもの!
その後さらにもう1人加わって、4人でお伊勢参りしてきました。最後に伊勢市駅付近で飲み会を。ええ、このご時世ってのはわかってるんですが、6+1年越しの約束を果たせるなんてのは不要不急の事ではなくて、なかなかの社会実験でもあり、メロスが帰ってくるのを見届けたセリヌンティウスのように、どうしても嬉しいことなのです。
ところでこの間、連絡を取り合っていたLINEグループには19人が所属しています。集まったのは4人です。なかなか感慨深いものがあります。2014年の卒業生が1人、その2学年上の子が1人、その5学年下の子が1人。結局、2014の旅行に来てたのは当時の卒業生と俺だけだ!
来れなかった学生を責めるつもりは毛頭ありません。約束は破られるものです。中には「濃厚接触者になってしまった」というどうしようもない理由もありました。「へへ、ちょっとコレが(小指)」みたいな理由もありました。構わないんです、それでいいんです。みんな大人になって、社会とのしがらみができ、人間関係も変わる。本人が変わらなくても、社会が、時勢が、状況が、周りが「許さない」ことはあるのです。それを責めるものではないんです。みんな個人と社会との相剋でギリギリの判断を迫られたんですよね、きっと。それが生きるっていうことの面白さ、ダイナミクスだから、変な約束でも人生にアクセントがついて良かったじゃないか。そんなもんだよ、人生は。
そんな中でも、3人も来てくれた、「個人」が、「言葉だけの約束」が勝つこともそこそこあるんだ。もうそれで十分ですよ。
俺も骨折してるし、家族に冷たい目で見られてるなかコソコソ出てきたもんです。コロナが広がってる地域からの移動に、後ろめたいところもある。でも約束を守ることができて、ホッとしている。俺は約束を守る、最悪1人でお伊勢参りになったとしても、世界のどこかで馬鹿正直に約束を守っている奴がいる、という事実を教え子に示さねばならぬ、それは命をかける価値のあることだ、と言い聞かせながら。カッコつけて言ってるだけだと言われるかもしれないけど、これは俺の選択であり、人生だからね。
こうして書いてて、あらためてなんか、こう、味わいの深い数字だなぁ、と思ってます。俺入れて、4人。6年越しの約束を守れるのは、どんなに仲良くても、20%弱だってことか。
さて、せっかくなので、次の日程も決めました。確率的要素があった方が面白い、ということで、次に集合するのは「第106代内閣総理大臣が初めて招集する国会の初日」です。さぁ、いつになるでしょう。そしてその頃の私は、彼ら彼女らは、どうやって自分と自分以外の折り合いをつけるのでしょう。どんな選択をしても、結果になっても、そこには物語が生まれるはず。
—「人生はチョコレートの箱のようなものよ。開けてみないとわからないの」フォレスト・ガンプのお母さんの口癖より。