テレビで「オーラが写る写真」ってのをやっていた。
それで写真を撮ると、緑色の光や赤い光が感光してうつる。これを読み取る人がいて、「エネルギーにあふれている」とか「ストレスフルだ」という診断をする。
みんな、へーとかホーといって感心していた。
カンニングの竹山がひどいことを言われて、「なんだお前!」と行ったところでCMに入った。
竹山がまたキレた、という画になっていたけど、それで正しい反応なんですよ。なんでキレたらだめなんだ?
見ていて思ったのだが、一昔前だと、カンニング竹山のような反応が普通だったはずだ。一言で言うと、「まず信じない」ところから始まるわけだ。
ところが、今は逆だ。まず信じるのだ。なんか、科学が進んでいるので、そういうこともあるかなあという気持ちが強いのかな。あるいは、下手に疑って、専門用語で説明されて、自分がバカだということが他人にばれたらまずいとか、もっと単純に難しいことを考えるのが嫌だとか思ってるのだろうか。
そらあきませんで。考えることを放棄したら、どうなる?考えない葦はただの葦だ。
思い出したからついでに書いておくが、犬の心を鳴き声読み取るということで有名になったバウリンガル。あれの新シリーズで赤ちゃんの心が泣き声から分かるという機械を開発しているところがあるそうな。あほか。売ろうとする方も、買う方も阿呆ですよ。
テレビではお笑いがブームだ。日常的な言葉、情景、なんにでも突っ込みをするネタをする芸人(ex魔邪)が少なくない。その考え方を、思考停止の方に使うのではなくて、思考を活性化する方に持って行けないかなぁ。
ちなみに、突っ込みネタをする芸人は、もうつっこむところが無くなってきたのか、だんだん日常の常識に無理矢理かみついたり、有名人や有名な企業につっこんだりして、ボロが出始めている。もっとクリエイティブなネタを作らないとダメですよ。そうしないと、使い捨てになりますよ。なり始めてますけど。
お笑いは創造的でなければならない。創造的なお笑いは芸術になりうる。お笑いを見て、思考停止しているヤツはそこまでだ。創造性を見いだして感動する人間にならねばならない。
だらだら書いてきたけど、次の一言で締めよう。
人間に必要なのは、創造性と自発性である。(byモレノ)