Kosugitti's BLOG

アンドロイドは正規分布の夢を見るか

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2010 / 7月

歴代の名前

パソコン。
初代はグレコ。二代目はクリス。三代目はギン。四代目はローレンス。

ノートパソコン。
初代は秀吉。二代目マシュー。三代目トラジ。四代目カモメ。

車。
初代はマルコ・ボッコ。二代目はジョナサン。

あと、犬のぬいぐるみそれぞれにいろいろ名前をつけていた。バリマックス、プロマックス、コーティマックス、オーソマックス、等々。

名前をつけると愛着がわく。



ラフェスタ、というよりリバティの後継機と言ってます

新車が来ました!

マルコ・ボッコと名付けて可愛がっていた愛車とは、64469kmの走行距離でお別れ。うちに来た時が6000kmほど走っていた中古車だったので、付き合いは7年、58000kmぐらいでした。

ボレロという可愛い外見に惚れて買ったので、別れても好きな車です。

が、今日からはこの子とやって行きます。

ちょっと乗りましたが、排気量が大きいので走りが軽く、クーラーも効くし、何より静かだ。気持ち良い。
少し大きいので運転に慣れるまで暫くかかりそうですが、楽しく長く付き合っていけたらと思います。

まずは命名しないとなー。



感動しなければ人にあらず!感動すら自覚的にしなければならない時代

いつもこの時期になると同じようなエントリーを書いてありますがね。
昨日からやっておりますな、24+α時間テレビ。

今回はフジ系も駅伝(マラソン)を導入。トレーナーをつけて準備させて、タレントを走らせている。

走ると、感動するそうだ。全く意味が分からない。

しかも、体を傷めつけながらも前に進む姿が感動を呼ぶのか、と思ったが、どうもそうではないらしい。
走った本人が感動するそうだ!それを見て、紳助を始めとする周囲の人間が感動する、というシステムらしい。

駅伝なので、タスキを順に渡していくのだが、タスキを渡して疲労困ぱいで倒れこんだタレントに、紳助は聞く。
「どや、感動したやろ」、と。
タレントは答える。「感動しました」と。

感動する、というのは自動詞だと思っていたのだが、もはやここまで来たら「感動」という言葉の意味がわからなくなってくる。
追い打ちをかけるようにそこにいるアナウンサーが「走り終わった◯◯さんに、お手紙が届いております」といって、なにやら涙を誘おうとする。
さぁ、もう一回感動せよ、というわけだ。
こうなってくると、感動しなければ人にあらず!と言われているような気がするねw

マラソンがすべて悪いと言っているわけではない。
アスリートとしてのマラソンランナーはいいのだ。なぜなら、それは人間の限界を超えるため、記録を超えるためのものであるから。自己満足のためにやっているわけではないし、誰かにやれと言われてやっているわけではないのだ。

ええとしこいた大人が、業務命令で走れと言われたから走る。業界の先輩命令で感動する。それを見て、私はどんどん白けていく。

逆に怖いことだなと思うのは、徐々に自動詞的な心の働き、自然と心が◯◯する、ということが許されなくなっているのかもしれない。
すべて明示的に、自覚的に、手続き的に心の働きを明確にしなさい、という時代が来ているのか。

俺はロマンチストなのか?



面倒な男だねぇ。。。「年齢学序説」

年齢学序説

今更ながら、年齢学序説を読んだ。
芸人のエッセイとは一風違って、論文の体で書いてある。語尾がクエスチョンマークで終わることが多いので、多少読みづらい。
26歳という年齢で、選ばれし者は時代を掴む、という年齢学も、例外が多すぎて共感はできない。
しかし、ある人が真剣にモノを考えて、自分なりの仮説を産み出して、それを検証しつつ生きる、というのはそれだけで面白いのだ。少なくとも、同じく論文を書くという世界で生きている人間にとっては。
地方出身の芸人として、今の芸能界やそこでの番組の作り方、相方の売り方など、真剣に考え込まれているプロットは、なかなか読み応えがある。

しかも、この論文の筋がフラフラして面白みが分かりにくくなった頃、最終章に到達して、それらの不満は一気に解消される。

なんのことはない、彼は彼自身の26歳を、この十章を書くためにそれまでの話を作り出し、論文として、「年齢学序説」という仰々しい名前をつけざるを得なかったのだ。なんて面倒な、なんて不器用な男だろうか。

これを読み終わると、大吉先生の人間性に感動し、ますます好きになってしまいます。
焼却炉の魔術師に興味のある方は、ぜひおすすめします。



なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せ

粗大ゴミが出たので、市の粗大ゴミ持ち込みセンターに朝から行ってきた。
ドライブスルー形式で、車ごと重さを量られ、ゴミを捨て、帰りにまた車ごと重さを量る。差分が20kg未満だったので、経費はゼロだった。
何気ない日常の、市のサービスの利用だったが、ちゃんとサービスが受けられて、少し幸せになった。

メルボルンでは、市内を一周する無料のトラムがある。市民も旅行者も、ただで利用できる*1。これも、ちょっとした幸せだ。

このちょっとした幸せ、というのが大事なんじゃないかなと思う。

日本の政治は、基本的に小さな不幸に押さえますから我慢してください、という。管首相は最小不幸社会を目標にするというし*2、マスコミの作るイメージもあってか悪い行政に善き市民堪え忍んでいる、という話が多い。でもそうではなくて、ちょっとした幸せをちゃんと集めましょうよ。ちょっとしたサービスをするとか、少額の金は取らずに自由にする、無料にするとか。一円たりとも間違ってはならぬ、ルールは細部まで厳密に施行せねばならぬ、というのはリスクを減らしているようで、心理的幸福が減っている。そしてそれが何よりコスト高なんだ、ということになぜ気づかないのだろう。

日本人は平均値が好きだが、分散こそ大切だということを死ぬまで言い続けたいと思います。

*1:もちろん有料のトラムもあるが、実はこれもザルのような課金システムで、チケットを買わずにコッソリ乗っていてもばれない。私は一階利用して、2時間乗り放題券を買おうと思ったがコインが無く(札ではチケットを買えない)、その場はただ乗り。その後、もう一度載る機会があったので、今度はちゃんと「さっきの分も」という気持ちで払いましたけど。

*2:宰相不幸社会、と誤変換(笑)



私は子供です

写真は娘が七夕の短冊に書いたメッセージ。
読めますか?

行の概念がなく、あいてる隙間に書くのだから判別が難しいが、これは、

わたしはこどもです やさしくしてください

とかいてあるそうな。

なんか意味深で、幼稚園でなんかあったかとか、お父さん、お母さんに怒られて嫌だったとか?色々妻が聞いてみたらしいが、特にそういうことはないみたい。

少し気にはなっていたのだが、大学の事務員でもと保母さんにこの写真を見せてみた。読めますか、とクイズにしたが、難なく読めてしまった。
親の心配も打ち明けたら、

「そりゃ、お空へのお願いですもの。やさしくしてください、ってお空の2人にご挨拶ですよ。深い意味なんかありません」

とのこと。成る程、と得心。
また、保育士の資格って伊達じゃないな!(失礼)とおもいましたとさ。



寝ています

今日は一人で寝ています。

これでまた、一つ大人になったねー。

俺もまた、ひとつ親レベルが上がったのです。

今日はこの春引越しして行った、元お隣さんが突然の来訪。
最初は戸惑いのあった娘も、ものの五分ほどで感覚を思い出したようで、すぐに元気に遊び始めた。

お隣さんが越してからというもの、家のなかで遊ぶことが多くなり、少し心配していたのだが、青空の下、元気にはしゃぐ娘をみて一安心。聞けば、先方も越してからあまり外にいかないという。

子供は本人が意識していないところで、反応としてそういうところが出るので、注意が必要。心理学者としてではなく、一経験談として、だが。

さて、一時的に遊びにきただけなので、またすぐ別れの時間が来るのです。娘はまた泣きそうになり、元気付けるために「子供部屋を完成させよう!」とあいなったのです。

子供は単純。

だからかわいい。



家族の成長

昨日から、部屋の模様替えを行っている。
目的の一つは、子供部屋を作ることだ。

長く使ってきた、パソコンラックを処分した。
最初は、パソコンを買うというのはラックを買うのと同義だった。
我が家が愛用していたのは、ディスプレイを斜めに落とし込める大きなラックだった。
そのうち、安価で液晶画面が手に入るようになった。
今や、ノートPCやiPadでブラウジングができるので、むしろラックが不要。
母艦はいるけど、来年のいまごろにはテレビを買い換え、そのテレビにPC画面を映しだすようになるだろう。

今日、山口市内に初めてできたニトリでタンスを買った。
子供箪笥、ベビー箪笥では入りきらなくなってきたので、大きいのを。
これにともなって、模様替えになるのだが。

家具や車を買うと、だんだんライフステージが進んでいるような気がする。
しかし自分の成長とそれとが一致していないような気もする。
地位が人を作る、ということもあるだろうと思いながら、家族も俺も成長している感。

まぁ急いでならなくてもいいさ。




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