なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せ

粗大ゴミが出たので、市の粗大ゴミ持ち込みセンターに朝から行ってきた。
ドライブスルー形式で、車ごと重さを量られ、ゴミを捨て、帰りにまた車ごと重さを量る。差分が20kg未満だったので、経費はゼロだった。
何気ない日常の、市のサービスの利用だったが、ちゃんとサービスが受けられて、少し幸せになった。

メルボルンでは、市内を一周する無料のトラムがある。市民も旅行者も、ただで利用できる*1。これも、ちょっとした幸せだ。

このちょっとした幸せ、というのが大事なんじゃないかなと思う。

日本の政治は、基本的に小さな不幸に押さえますから我慢してください、という。管首相は最小不幸社会を目標にするというし*2、マスコミの作るイメージもあってか悪い行政に善き市民堪え忍んでいる、という話が多い。でもそうではなくて、ちょっとした幸せをちゃんと集めましょうよ。ちょっとしたサービスをするとか、少額の金は取らずに自由にする、無料にするとか。一円たりとも間違ってはならぬ、ルールは細部まで厳密に施行せねばならぬ、というのはリスクを減らしているようで、心理的幸福が減っている。そしてそれが何よりコスト高なんだ、ということになぜ気づかないのだろう。

日本人は平均値が好きだが、分散こそ大切だということを死ぬまで言い続けたいと思います。

*1:もちろん有料のトラムもあるが、実はこれもザルのような課金システムで、チケットを買わずにコッソリ乗っていてもばれない。私は一階利用して、2時間乗り放題券を買おうと思ったがコインが無く(札ではチケットを買えない)、その場はただ乗り。その後、もう一度載る機会があったので、今度はちゃんと「さっきの分も」という気持ちで払いましたけど。

*2:宰相不幸社会、と誤変換(笑)