時事ネタと私の思想

 わけあって、区役所に行ってきた。

 そこにあったポスター。「小学三年生まで児童手当が受けられるようになりました」とある。
 多分、少子化対策なんだろうな。
 政府の調査によると、欲しい子供の数、理想は三人だそうだ。ただ、現実としては「二人」で、実際の平均は1.29人になるらしい。
 理想通りにならない理由として、一番にあがるのは「教育費が高い」だそうだ。一人の子供を大人にするまでかかるお金は、平均1,000万らしいから、お金の話だけで言えば、子供が生まれるということは1,000万の借金を背負うようなものだ。子供が三人いれば、家一軒買えますよ。

 さてそこでこういう仮定を考えてみる。

 高校までを義務教育とする。少なくとも、学費は国家が負担する。もちろん私学は取ったらいいが、国公立の高校は基本的に無料にする。
 最近はほとんどが大学に行くぐらいなんだから、高校は実質的に義務教育となっている。この実質的側面を国家が補償するのである。これで教育費の負担が減るでしょう。産みやすくなる。

 一方で、大学のあり方も変えるべきだ。
 最近考えているのは、大学の入試を撤廃すること。
 受験料がなくなるのは、大学にとってデメリットだが、その分は増えるであろう入学生から、入学料を取ったらいい。
 そのかわり、大学の教員は、研究レベルを下げることなく、ついてこられない学生をどんどん落としたらいい。大学は専門教育の場なので、質を落とすわけにはいかないからだ。
 普通は高校まで出ていれば十分ですよ。言い換えれば、大学まで出たのなら、それなりの知識や技術を持って卒業していくべきだ。お金という負担を払ってもね。

 すくなくとも、子供の教育や学問というものについて、国家も国民も、もう少し覚悟を持って挑むべきである。

 ところで、イラクの戦地に赴いている一般兵卒は、大学に行くための学費を稼ぐべく、志願したものが多いらしい。
 もともと帰国して勉強したいのだから、イラクなどで死んでいるわけにはいかない・・・と、基本的に保身的なのである。だから、カメラを向けられただけで怖じ気づいて、発砲してしまったりするのだそうな。

 上のような仮定をいざ実行するとなると、私立と公立のギャップが大きくなり、知的階級とそうでない階級の、階級格差が開く可能性が高い。そうすると、学問のレベルでも亜米利加的になってしまうわけで・・・。あちらが立てばこちらが立たず、難しいものですな。

 更に余談。
 フセイン大統領が裁判の場に出ている映像を見た。彼が言っていることはまっとうである。
 「私は今もフセイン大統領だ」、「この裁判は誰が主体となって行うのか」、「私にも弁護士をつけろ」。
 少なくとも、狂人ではない。
 どんな政策を国の中でやっていたとしても、別の国が攻め込んできて「逮捕」し、「裁く」なんてことが理屈上成り立つはずがない。
 法律のことを知らない俺でも、原則論でわかる話だ。成り立っているのは、理屈を無視した暴力の上に、現実が構成されているからである。

 こんな裁判は茶番だ。東京裁判がそうであったように。