あまり嬉しくない昼食を取った後、ノンビリ家を出る。
電車の中で、面白い出来事が二つ。
ひとつは、久しぶりにモデムの音を聞いたことだ。ピー、ガラガラガラ、ザー・・・という音なのだが、今では懐かしい音になってしまった。昔はこの音を聞くと、「あ、繋がった」と思って一安心したものだが。で、それが電車の中で聞こえてきたのである。まず、「あっ、なつかしい!」と思ったのだが、その後よく考えれば、電車の中に電話ケーブルなど無い。どこが発信源だろうときょろきょろしてみると、どうやらある若者が聞いているヘドホンから漏れ聞こえる音のようだ。どんな音楽を聴いているのかは知らないが、モデム音に近いメロディって・・・名曲ですか?
二つ目。乗り換えたときに、隣に座ったお祖母さんから、強烈なアルコールのにおいがする。真っ昼間から酒をかっ食らっているわけでもないだろうに。なんでだろう。
面白くないことがひとつ。
帰りは、断酒が終わったということで、久しぶりに酔っていたのだが、おそらくそのせいで乗る路線を間違えた。京都行きに乗らねばならないのに、北千里行きに乗っていたようだ。「次は、吹田」などといわれて初めて、何で俺こっちに来てるんだ、と思った次第。ことほど左様に、酒を飲むとやっぱりマズイです、ハイ。
木曜日は院ゼミのために大学に行く。
今度、うちの大学でとある先生を呼んで、講演会をするそうだ。亜米利加人である。おそらく聴衆は院生以上ぐらいを対象にしていると思うのだが、通訳をつけるべきか否か、といったことで議論した。
今度加奈陀に留学する予定の後輩に、先生が「君は研究テーマも同じだから、やったらどうだ」というと、彼ははっきりと「イヤです、負担になります」と声を荒げて断った。彼はいつも、チャンスを無にしている。取りやすいボールしか取らない。人間は負担・逆境を跳ね返してこそ成長するというのは、人類の真理のひとつだと思うのだが。こんなことで彼はやっていけるのだろうか。俺だったら、とりあえず「やります、でも自信がないので、英語に明るい人を補佐としてつけてください」ぐらいはいうけどね。
他人事とはいえ、同じ釜の飯を食った仲間。先行きが不安である。
その後は先生が芦屋にお店を予約までしてくれてあった、祝宴に招かれる。
先生に「博士、おめでとう」といわれるのは歯がゆい思い以外のなにものでもない。
今日のクライマックスは、9時を回った頃の話。
先生が、「私はいろいろ君の利点をプレゼンしたつもりだ。しかし、君の理論が理想的すぎる、現実から乖離しているといわれたら、どう反論すべきか、私の中にも答えがなかった。実のところ、どうだ」と問うのである。
「それこそ私の狙いなのであって、現実から乖離しつつ、理想論に行きすぎぬよう立場を確立したい」と言葉を振り絞るようにお返事した。
私の目指す、数理社会心理学とは、これからもずっとこの批判に耐えていかねばならぬだろう。
先生も「それは君のこれからの頑張りにかかっている」との(美しい)お返事であった。
恥ずかしながら、指導教授と真剣に対峙したのは、今日のあの瞬間が初めてだったのではなかろうか。
お互い、相手のことはわかりあってはいるのである。そこを敢えて言葉に出し、先生が問うたのは、同席する後輩に対する教育効果以上に、私に対する激励だったのではあるまいか。
先生が私のような跳ねっ返りを受け止め、育ててくださったこと、そして世に送り出してくれたことに対し、心より感謝申し上げます。
私事ではあるが、同じく私のような跳ねっ返りを受け止め、育ててくださった妻にも、先生同様感謝が尽きることは、無い。