社会心理学には因子分析法という手法がありまして−。
要するに、この因子分析法というのは、複数のデータを要約する手段なんですな。あれやこれやとたくさんアンケートで聞いた後で、これとこれは関係している項目、というように機械が自動的にまとめてくれる、魔法の手段。
因子分析法では、データを意味のあるものと誤差に分けます。で、もちろん、意味のあるところには何が出てきたかな?ということを研究するわけ。
人生においても、意味のあることと誤差といってもかまわないような些末なことがありまして。
事務所や役所にさまざまな書類を出すのは、私の中では誤差に含まれる。面倒だし、それが俺の研究に、俺の愛になにかかんけいするのか、と問いたい。でもやらねばならぬことはどうやらあるようであるから、いろいろせっつかれたりすると、何とかしようと思う。
今日も学校から来た書類の提出と、役所から来た「年金払えゴルァ」の手紙とをみながら、悪戦苦闘した。
書類って、何であんなにややこしいのだ?
これこれ、ここのところにご記入下さい。ここに記入された人のうち、給与所得者はこれ、給与以外の所得が10万円以下の人はこれ、給与が68万以下の人もここに含まれたりするけど、とか。学生はここに記入、ただし源泉徴収票や学生書のコピーが要る、あと年金手帳も。なんてことを言われたりする。
収入が複数あったり、源泉徴収票が4〜5枚あるひとはどうすればいいのか、まるで書いてない。
面倒だから、主たる収入についてだけ書類を書いてみた。
どうせエラーではじき返されるんだろうな。そのとき対処してやれ。
誤差なんだから。
人間関係は誤差とは言えない。人生の主たる部分である。
後輩が、思いの外怒っていた。
酔っぱらった席とは言え、彼にとってかなり負担になったようである。
今日は彼の目をまっすぐ見ることができなかった。
少しずつ、贖罪していこう。
まずは「釈お酌」から。