行動計量学会に参加してきました。
大都会岡山に来たので,午前中のセッションは失敬して,ジュンク堂によってから行くことに。
都会にきたら,本屋をうろうろする喜びを満喫する癖がついちゃったよ。
おかげで,午後のセッションにも遅れそうになってしまい,あわててタクシーで行くことに。
岡山理科大学は山の上にありました。甲子園大学クラスの急勾配。
さて,今日でたセッションは「歴史」や「物語」のセッション。
計量モデルとして歴史や物語を語れるか,というのは大変面白い視点で,「人間は進歩するが歴史は回転する」というタイトルだけにひかれて岡山までやってきたようなものだ*1。
いろいろな話を聞いたけれども,総じて思うに,時間的な幅をもったモデルを持とうとしているんだな。
論理実証主義的モデルを追いかけると,普遍的な(すなわち時間の起点や経緯を問わない)モデルを作ってしまうことになるけど,例えば歴史はすでに時系列的なパターンを問題にする学だし,人間の意思決定が論理的でない理由は物語性を持っているから(フレーミング効果)で。そこをモデル化したい,というムーブメントが出てきたんだな。
だが,後者の指定討論者も指摘されていたが,これはロボットに心をプログラミングするためにゲシュタルト性が大事だ,とかいうのと同じようなブームの再来かもしれない。
また思うに,例えば説得のやり方はロゴス,エートス,パトスに訴える3つのやり方があるというが*2,確かにロゴスで説明できないからエートスの力を,と思うところもあるだろうけど,心理学者としてはほとばしる熱いパトスも同様に視野に入れておきたいとも思う。
そして,エートスの話は,慣習,文化の領域になるので,時間を取り込むと同時に「意味」や「情緒」の問題に向きあうことにもなるのだ。それは,勇気を持って向き合うべきだが,モデル屋さんが最も苦手とするところでもあるのだろうな。
「時系列的な文脈を表現する技法」があればその解決の一助になるかもしれない。それこそソシオン譜の狙うところであり,故木村洋二先生が荷重に意味・情緒を乗せてモデル化しようとしたのと同じ狙いなのである。
勉強になった。明日も楽しみだ。
聞いてきたこぼれ話1)ピアソンの日本最初の弟子が夏目漱石で,夏目漱石は芸術論のなかで現象を一般因子Fと特殊因子fにわけるモデルを考えたが,スピアマンらがFを最大化しfを最小化する認識科学を目指したのに対して,効用関数U(F,f)の非線形最適化を目指した設計科学としての芸術を考えていたそうな。
聞いてきたこぼれ話2)ザ・フォーククルセイダーズの北山修は,その後,精神分析家になった。っていうか,フォークルの人だったのかよ!